スティーブ・ジョブズ氏に学ぶ (特別寄稿) (後編) [人物・伝記]
「仕事の意義・人生の意味」(後編)
~スタンフォード大学卒業スピーチより ~
大きな幸運は不幸の仮面をつけてやってくる
そのときは気がつきませんでしたが、のちになって、アップルをクビになったことは、人生で最良の出来事だとわかってきました。
「成功者」としての重圧は消え、再び初心者の気軽さが戻ってきました。
おかげで、私の人生でも、このうえなく創造的な時代を迎えることができたのです。
その後の5年間に、ネクスト(NeXT)という会社を立ち上げ、続いてピクサー(Pixer)という会社を設立し、素晴らしい女性にめぐりあいました――今の妻ですけどね。
のちにピクサーは、世界初のコンピュータ・アニメ映画「トイ・ストーリー」を制作。世界最高のアニメーション・スタジオになりました。
その後、事は意外な方向に進み、ネクストはアップルに買収され、私はアップルに戻ることになりました。そして、私たちがネクストで培った技術は、アップル再生の中心的な役割を果たしています。一方、妻ロレーヌと私は、素晴らしい家庭を築いてきたというわけです。
それにしても確かなのは、アップルをクビになっていなければ、こうした出来事は1つとして起きなかったということです。口に苦い薬でしたが、病人には必要だったんでしょう。
人生には、時にレンガで頭をガツンとやられることがあるものです。でも、信念を失ってはいけません。私がここまで続けられたのは、自分のやっていることが好きだったからにほかなりません。
みなさんも、自分が打ち込めるもの――愛するものを見つけ出してほしいのです。これは、仕事でも恋愛でも同じこと。
みなさんの人生において、仕事は大きな割合を占めることになるでしょう。そこで本当に満足感を味わいたければ、素晴らしいと信じる仕事をする以外にありません。
そして、素晴らしい仕事をするには、自分の仕事を愛することにつきるのです。
まだ、そんな仕事は見つかっていないというならば、探し続けてください。妥協は禁物です。見つかればピンとくるはずですよ。
そして、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を経るごとに自分を高めてくれるのです。
ですから、探し続けてください。妥協してはいけません。
人生の締め切りが設定されたらどうするか
3番目の話は、死についてです。
17歳のとき、こんな言葉を本で読みました。
「毎日を、人生最後の日だと思って生きなさい。そうすれば、いつか必ずその通りになる日が来るでしょう」
これには強烈な印象を受けました。それ以来33年間、毎朝私は鏡に向かって自問自答してきました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、本当に今日のスケジュールでいいのか?」
「ノー」と答える日が長く続くと、私は「何かを変えなくてはならない」と考え始めます。
死を目前にした自分を想像することは、人生の大きな選択をする際に、ずいぶんと役に立ちました。
というのも、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなんて、死に直面したらバッと消え去ってしまいます。残るのは、本当に重要なことだけ。
また、自分もいつかは死ぬんだと想像すれば、「自分には失いたくないものがある」なんていう思い違いをしなくて済みます。
みなさんには、失うべきものは何もないのです。心のおもむくままに生きて、何も悪いことはありません。
1年ほど前、私の体にガンが見つかりました。検査の結果、すい臓にはっきりと腫瘍が映っていたんです。それまでは、すい臓が何であるかも知らなかったのに。
医者の言うには、これは治療ができないガンにほぼ間違いない。余命は3ヵ月から、よくて半年。
そして、家に帰ってやるべきことを済ませなさいとアドバイスしてくれました。
つまり、死に支度をしろというわけです。ということは、今後10年間かけて子どもたちに伝えようとしたことを、たったの2、3ヵ月で言えということです。
家族が心安らかに暮らせるよう、引き継ぎをしろということです。要するに、別れを告げてこいということです。
その日の夕方、生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ、胃から腸に通し、すい臓に針を刺して腫瘍の細胞をとってきたのです。
あとで妻から聞いた話によれば、医師が顕微鏡で細胞を覗いたとたん、叫び声を上げたのだとか。というのも、すい臓ガンにしてはごく珍しく、手術で治せるタイプのものだとわかったからなんです。
こうして私は手術を受け、いまでは元気になりました。
これまでの生涯のなかで、私がもっとも死に近づいた瞬間といっていいでしょうね。できれば、あと何十年かは、これ以上近づきたくないものです。
こんな経験をしたもので、以前よりもちょっと自信をもって言えるんですが、死というのは有用でかつ純粋に知的な概念なんです。
ちょっと、わかりやすく説明しましょう。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたいと願っている人はいますが、そのために死のうとは思っていないでしょう。
でも、それでいて、死というのは私たち誰もが向かう終着点でもあります。死を免れた人なんていません。
それにはわけがあります。「死」というのは、「生」による唯一で最高の発明だからです。死によって、古いものが消え去り、新しいもののために道が開けるのです。
いまの時点で、新しいものとは、みなさんのことです。でも、遠からず、みなさんもだんだんと古くなり、消え去っていくでしょう。
ちょっと重苦しい話ですみません。でも、本当のことなんですよ。
みなさんの時間には限りがあります。自分らしくない人生を過ごして、ムダにする暇なんかありません。
他人の教義に身を委ねるな、内なる声に忠実であれ
決まった教義なんかにとらわれてはいけません。それは、ほかの人が考えた結果を生きていくに過ぎないことだからです。他人の意見という騒音に、みなさんの心の声がかき消されないようにしてください。
もっとも大切なのは、みずからの心や直感に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というものは、みなさんが本当に望んでいる姿を、すでに知っているのです。
私が若かったころ、「The Whole Earth Catalog」(全地球カタログ)という、それはそれはスゴい本がありました。私たちの世代では、バイブルのような扱いでした。
ステュアート・ブランドという人が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、独特の詩的なタッチで、いきいきとした誌面が展開されていました。
1960年代の終わりですから、パソコンもDTPもありません。タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られていたんです。
いってみれば、グーグルのペーパーバック版という感じでしょうか。理想に燃えた誌面からは、素敵なツールと高邁な信念があふれていました。
ステュアートとそのチームは、「The Whole Earth Catalog」の版を数回重ね、一通りのことをやってしまったところで、最終版を発行しました。
1970年代の半ば。私が、みなさんの年ごろだったときです。
最終版の裏表紙は、朝早い田舎道の写真。ヒッチハイクの経験がある人ならば、一度は目にしたような風景です。
写真の下には、こんな言葉が書かれていました。
「ハングリーであれ、愚かであれ(Stay Hungry. Stay Foolish.)」
それが、彼らの別れのメッセージだったのです。
ハングリーであれ、愚かであれ--それ以来、私はいつもそうありたいと願ってきました。そしていま、卒業を迎えて新しい人生に向かうみなさんに、私は望みたい。
ハングリーであれ、愚かであれ。
翻訳/ニ村 高史
スティーブ・ジョブズ氏
スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs, 1955年2月24日 - ) はアメリカの企業家。
スティーブ・ウォズニアック等とともに、Apple Computer社を創立する。また、Xerox、PARCの試験的なハードウェア「Alto」のグラフィカルユーザインターフェース(GUI)やマウスのアイデアの可能性に目をつけたジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソンのアイデア「Macintosh」に反対し対立するも、自らPARCを見学した後、正反対の見解を示し、後のMacintoshを販売した。
近年では業績不振に陥っていたApple社に暫定CEOとしてM&A、iMac・iPodの発売、Microsoftとの資本連携などによりApple社の業績を回復させた。また奇抜な商品発表をすることでも知られている。
暫定CEOに就任して以来、CEOそれ自体への給与は毎年1ドルしか受け取っていないことで有名である。このため「世界で最も給与の安いCEO」とも呼ばれている。
●略歴
1972年 カリフォルニア州クパチーノで高校を卒業後、リード大学(オレゴン州ポートランド)に入学。1学期で中退。
1974年 スティーブ・ウォズニアックと出会い、ゲームデザイナーとしてアタリ社に入社。(ウォズニアックとともにBreakoutの開発に携わる)
1976年(21歳) ウォズニアックと共にApple Computerを設立。Apple Iを製造・販売。
1983年 ジョン・スカリーをペプシ・コーラ社より引き抜く。
1985年 意見の相違からスカリーにApple社を追われ、NeXTコンピュータ社を設立。
1986年 ルーカスフィルムCG部門を買収。アニメーションスタジオピクサー設立。
1996年 Apple社がNeXT社を買収。
1997年 Apple社の暫定CEOに就任。 ギル・アメリオの解雇、CEO就任。
2005年 現職。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
2005年10月24日 NIKKEI BP SAFETY JAPAN 2005
~スタンフォード大学卒業スピーチより ~
大きな幸運は不幸の仮面をつけてやってくる
そのときは気がつきませんでしたが、のちになって、アップルをクビになったことは、人生で最良の出来事だとわかってきました。
「成功者」としての重圧は消え、再び初心者の気軽さが戻ってきました。
おかげで、私の人生でも、このうえなく創造的な時代を迎えることができたのです。
その後の5年間に、ネクスト(NeXT)という会社を立ち上げ、続いてピクサー(Pixer)という会社を設立し、素晴らしい女性にめぐりあいました――今の妻ですけどね。
のちにピクサーは、世界初のコンピュータ・アニメ映画「トイ・ストーリー」を制作。世界最高のアニメーション・スタジオになりました。
その後、事は意外な方向に進み、ネクストはアップルに買収され、私はアップルに戻ることになりました。そして、私たちがネクストで培った技術は、アップル再生の中心的な役割を果たしています。一方、妻ロレーヌと私は、素晴らしい家庭を築いてきたというわけです。
それにしても確かなのは、アップルをクビになっていなければ、こうした出来事は1つとして起きなかったということです。口に苦い薬でしたが、病人には必要だったんでしょう。
人生には、時にレンガで頭をガツンとやられることがあるものです。でも、信念を失ってはいけません。私がここまで続けられたのは、自分のやっていることが好きだったからにほかなりません。
みなさんも、自分が打ち込めるもの――愛するものを見つけ出してほしいのです。これは、仕事でも恋愛でも同じこと。
みなさんの人生において、仕事は大きな割合を占めることになるでしょう。そこで本当に満足感を味わいたければ、素晴らしいと信じる仕事をする以外にありません。
そして、素晴らしい仕事をするには、自分の仕事を愛することにつきるのです。
まだ、そんな仕事は見つかっていないというならば、探し続けてください。妥協は禁物です。見つかればピンとくるはずですよ。
そして、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を経るごとに自分を高めてくれるのです。
ですから、探し続けてください。妥協してはいけません。
人生の締め切りが設定されたらどうするか
3番目の話は、死についてです。
17歳のとき、こんな言葉を本で読みました。
「毎日を、人生最後の日だと思って生きなさい。そうすれば、いつか必ずその通りになる日が来るでしょう」
これには強烈な印象を受けました。それ以来33年間、毎朝私は鏡に向かって自問自答してきました。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、本当に今日のスケジュールでいいのか?」
「ノー」と答える日が長く続くと、私は「何かを変えなくてはならない」と考え始めます。
死を目前にした自分を想像することは、人生の大きな選択をする際に、ずいぶんと役に立ちました。
というのも、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなんて、死に直面したらバッと消え去ってしまいます。残るのは、本当に重要なことだけ。
また、自分もいつかは死ぬんだと想像すれば、「自分には失いたくないものがある」なんていう思い違いをしなくて済みます。
みなさんには、失うべきものは何もないのです。心のおもむくままに生きて、何も悪いことはありません。
1年ほど前、私の体にガンが見つかりました。検査の結果、すい臓にはっきりと腫瘍が映っていたんです。それまでは、すい臓が何であるかも知らなかったのに。
医者の言うには、これは治療ができないガンにほぼ間違いない。余命は3ヵ月から、よくて半年。
そして、家に帰ってやるべきことを済ませなさいとアドバイスしてくれました。
つまり、死に支度をしろというわけです。ということは、今後10年間かけて子どもたちに伝えようとしたことを、たったの2、3ヵ月で言えということです。
家族が心安らかに暮らせるよう、引き継ぎをしろということです。要するに、別れを告げてこいということです。
その日の夕方、生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ、胃から腸に通し、すい臓に針を刺して腫瘍の細胞をとってきたのです。
あとで妻から聞いた話によれば、医師が顕微鏡で細胞を覗いたとたん、叫び声を上げたのだとか。というのも、すい臓ガンにしてはごく珍しく、手術で治せるタイプのものだとわかったからなんです。
こうして私は手術を受け、いまでは元気になりました。
これまでの生涯のなかで、私がもっとも死に近づいた瞬間といっていいでしょうね。できれば、あと何十年かは、これ以上近づきたくないものです。
こんな経験をしたもので、以前よりもちょっと自信をもって言えるんですが、死というのは有用でかつ純粋に知的な概念なんです。
ちょっと、わかりやすく説明しましょう。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたいと願っている人はいますが、そのために死のうとは思っていないでしょう。
でも、それでいて、死というのは私たち誰もが向かう終着点でもあります。死を免れた人なんていません。
それにはわけがあります。「死」というのは、「生」による唯一で最高の発明だからです。死によって、古いものが消え去り、新しいもののために道が開けるのです。
いまの時点で、新しいものとは、みなさんのことです。でも、遠からず、みなさんもだんだんと古くなり、消え去っていくでしょう。
ちょっと重苦しい話ですみません。でも、本当のことなんですよ。
みなさんの時間には限りがあります。自分らしくない人生を過ごして、ムダにする暇なんかありません。
他人の教義に身を委ねるな、内なる声に忠実であれ
決まった教義なんかにとらわれてはいけません。それは、ほかの人が考えた結果を生きていくに過ぎないことだからです。他人の意見という騒音に、みなさんの心の声がかき消されないようにしてください。
もっとも大切なのは、みずからの心や直感に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というものは、みなさんが本当に望んでいる姿を、すでに知っているのです。
私が若かったころ、「The Whole Earth Catalog」(全地球カタログ)という、それはそれはスゴい本がありました。私たちの世代では、バイブルのような扱いでした。
ステュアート・ブランドという人が、ここから遠くないメンローパークで制作したもので、独特の詩的なタッチで、いきいきとした誌面が展開されていました。
1960年代の終わりですから、パソコンもDTPもありません。タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られていたんです。
いってみれば、グーグルのペーパーバック版という感じでしょうか。理想に燃えた誌面からは、素敵なツールと高邁な信念があふれていました。
ステュアートとそのチームは、「The Whole Earth Catalog」の版を数回重ね、一通りのことをやってしまったところで、最終版を発行しました。
1970年代の半ば。私が、みなさんの年ごろだったときです。
最終版の裏表紙は、朝早い田舎道の写真。ヒッチハイクの経験がある人ならば、一度は目にしたような風景です。
写真の下には、こんな言葉が書かれていました。
「ハングリーであれ、愚かであれ(Stay Hungry. Stay Foolish.)」
それが、彼らの別れのメッセージだったのです。
ハングリーであれ、愚かであれ--それ以来、私はいつもそうありたいと願ってきました。そしていま、卒業を迎えて新しい人生に向かうみなさんに、私は望みたい。
ハングリーであれ、愚かであれ。
翻訳/ニ村 高史
スティーブ・ジョブズ氏
スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs, 1955年2月24日 - ) はアメリカの企業家。
スティーブ・ウォズニアック等とともに、Apple Computer社を創立する。また、Xerox、PARCの試験的なハードウェア「Alto」のグラフィカルユーザインターフェース(GUI)やマウスのアイデアの可能性に目をつけたジェフ・ラスキン、ビル・アトキンソンのアイデア「Macintosh」に反対し対立するも、自らPARCを見学した後、正反対の見解を示し、後のMacintoshを販売した。
近年では業績不振に陥っていたApple社に暫定CEOとしてM&A、iMac・iPodの発売、Microsoftとの資本連携などによりApple社の業績を回復させた。また奇抜な商品発表をすることでも知られている。
暫定CEOに就任して以来、CEOそれ自体への給与は毎年1ドルしか受け取っていないことで有名である。このため「世界で最も給与の安いCEO」とも呼ばれている。
●略歴
1972年 カリフォルニア州クパチーノで高校を卒業後、リード大学(オレゴン州ポートランド)に入学。1学期で中退。
1974年 スティーブ・ウォズニアックと出会い、ゲームデザイナーとしてアタリ社に入社。(ウォズニアックとともにBreakoutの開発に携わる)
1976年(21歳) ウォズニアックと共にApple Computerを設立。Apple Iを製造・販売。
1983年 ジョン・スカリーをペプシ・コーラ社より引き抜く。
1985年 意見の相違からスカリーにApple社を追われ、NeXTコンピュータ社を設立。
1986年 ルーカスフィルムCG部門を買収。アニメーションスタジオピクサー設立。
1996年 Apple社がNeXT社を買収。
1997年 Apple社の暫定CEOに就任。 ギル・アメリオの解雇、CEO就任。
2005年 現職。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
2005年10月24日 NIKKEI BP SAFETY JAPAN 2005
2006-06-22 12:53
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