スターバックス誕生秘話 [人物・伝記]
-スターバックス誕生秘話-
故郷のコーヒー味を忘れることができなかった1人のオランダ人。彼の信念が、世界各地に4000店以上を展開するコーヒーチェーンの礎となりました。
今回は、ハワード・シュルツ(51) スターバックス会長の物語です
(第1話)
良質のアラビカ種で、ほどよくローストされた故郷のコーヒーをアメリカ在住のオランダ人ピートは、決して忘れることができませんでした。 当時、アメリカのコーヒーと言えば、ドス黒くてただ苦いだけの飲み物だったのです。
1966年、ピートは、自分が求めるコーヒーをアメリカ人にも味わってほしいという願いをこめて、「ピートの店」を開きます。やがて、この店のコーヒーの評判は、各地に広がり、1972年遠くシアトルから、ある男達が、ピートの店を訪ねてきたのでした。
*プチ・コーヒー通
泡立てたミルクの色が、カトリックのカプチン修道僧の法衣と頭巾の色に似ていることから、カプチーノと呼ばれる様になりました
(第2話)
シーゲルは、仲間2人とシアトルで、コーヒーショップを始めることになっていた。そこで、はるばるシアトルから、「ピートの店」を訪ね、美味しいコーヒーの淹れ方を伝授してもらうことにした。
彼らは、メルヴィルの小説「白鯨」に登場する、コーヒー好きの航海士スターバックにちなんで、自分達の店を「スターバックス」と名付けた。
豆はピートから仕入れ、「焙煎後2週間以内の豆だけを使う」というピートの教えを頑なに守った。 店は順調に伸びていった。
10年が経過し、シーゲルらは、マーケティングを強化しようと考え、ニューヨークから、ある男を呼ぶ・・
*プチ・コーヒー通
コーヒー豆には、アラビカ種・ロブスタ種・リベリカ種の3種がある。高質なのは、アラビカ種。 ロブスタ種は、大量生産できるが、味は劣る。
(第3話)
事業拡大のため、はるばるニューヨークから呼ばれた男こそ、現スターバックス会長のハワード・シュルツでした。
早速、シュルツはコーヒーの豆を買い付けに、イタリアへ出張する。 そこでは、今までシュルツが飲んだことのない様な極上のエスプレッソを味わうことができた。 また、ミラノの街のあちこちに見かける洒落たエスプレッソバーが、市民の社交場になっていることも学んだ。
大きな衝撃を受けて帰国したシュルツの頭からは、ミラノで飲んだエスプレッソの味と洒落たエスプレッソバーのことが離れなかった。
「これだ!」と考えたシュルツは、会社(スターバックス)にコーヒーバーを提案するが、会社からは全く相手にされない日々が続いた
*プチ・コーヒー通 「マキアート」イタリア語で「染み」のこと。エスプレッソにミルクで染みをつけたものが、カフェ・マキアート。 一方、ミルクに
エスプレッソで染みをつけたものが、ラテ・マキアート。ついでに、私が好きなのは、キャラメル・マキアート。
(第4話)
資金のなかったシュルツは、地元の投資家を募り、念願であったコーヒーバーを開こうとしていた。 1985年、シュルツはスターバックスの豆だけを使用するという条件で、独立を果たす。
そして、現在のスターバックスの店舗の礎となるコーヒーバー「イル・ジョルナーレ」をOPENさせた。
一方のスターバックスと言えば、当時のフレーバーコーヒーブームの中で、苦戦を続けていた。 開店して15年、グルメコーヒーを追い求めてきたため、今さら、フレーバーコーヒーを受け入れる体制にはなかったのだ。
シーゲルら3人は、次第にスターバックス経営への関心を失い始めていた。
*プチ・コーヒー通
フレーバーコーヒーとは、焙煎(ロースト)の段階でバニラやナッツなどの香りをつけたコーヒーのこと
(第5話)
フレーバーコーヒーを邪道とするスターバックスは、頑として店には置こうとしなかった。 次第に、客足は離れていった。商売としてのうま味を失ったオープン当時の3人組は、コーヒーチェーンを止め、それぞれ別の事業へ乗り出すことを
考え始めていた。
1人はスターバックスを退職し、1人はビールの販売事業をすることにした。
そんな折、「スターバックス買収」の話が持ちあがる。 買収を申し出たのは、他ならぬ、彼らがニューヨークから呼んだハワード・シュルツであった。
シュルツは、独立して開いたコーヒーバー「イル・ジョルナーレ」が成功し、11店舗を持つまでになっていた。
取引は成立し、「イル・ジョルナーレ」の看板は、一夜にして「スターバックス」へと変わった。
*プチ・コーヒー通
カップのサイズ、どれにしようか悩んだことありませんか?通常、ショートは8オンスで、いわゆる缶コーヒーとほぼ同じ大きさ。トールは12オンスで、その1.5倍。グランデは16オンスですので、ショートの2倍の大きさです
(最終話)
スターバックスを買収したシュルツは、持ち前の経営センスを活かし、次々と店舗を拡大させていきます。
「自分より有能な社員を雇い、やりたいようにやらせる」というモットーで、どの店に行っても均一な品質のコーヒーを提供できる様、バリスタの教育に力を入れてきました。
1996年、スターバックス初の海外進出となった場所を、皆さん、どこだと思いますか?
それは、銀座でした。流行に敏感な日本人なら、フラペチーノやカフェモカに飛びつくだろうと考えたシュルツの読みは、見事に当たりました。
2001年には、スイスにも出店し、念願であったヨーロッパ進出も果たしました。
現在、世界中で4000店を超える世界最大のコーヒーチェーンは、「故郷のコーヒーを忘れることができずに、真の味を追い続けた」1人のオランダ人の信念から生まれたのでした。
(補足)
スターバックスのロゴマークは、「美味しいコーヒーで、多くの人を魅了したい」という思いから、北欧神話に登場する魅惑的な歌声で、海の男たちを魅了した、尾を2つ持つ伝説の人魚セイレンから来ています。よく見ると、確かに尾ひれが2つありますね。
*プチ・コーヒー通
フラペチーノは、氷を細かく砕いた(かき氷状の)飲み物のことですが、スターバックスによって商標登録されていますので、他社で見ることはできません
--- 世界情勢/海外ニュースの読み方 http://ken-herbie.com■プチ現代偉人物語■ から---
故郷のコーヒー味を忘れることができなかった1人のオランダ人。彼の信念が、世界各地に4000店以上を展開するコーヒーチェーンの礎となりました。
今回は、ハワード・シュルツ(51) スターバックス会長の物語です
(第1話)
良質のアラビカ種で、ほどよくローストされた故郷のコーヒーをアメリカ在住のオランダ人ピートは、決して忘れることができませんでした。 当時、アメリカのコーヒーと言えば、ドス黒くてただ苦いだけの飲み物だったのです。
1966年、ピートは、自分が求めるコーヒーをアメリカ人にも味わってほしいという願いをこめて、「ピートの店」を開きます。やがて、この店のコーヒーの評判は、各地に広がり、1972年遠くシアトルから、ある男達が、ピートの店を訪ねてきたのでした。
*プチ・コーヒー通
泡立てたミルクの色が、カトリックのカプチン修道僧の法衣と頭巾の色に似ていることから、カプチーノと呼ばれる様になりました
(第2話)
シーゲルは、仲間2人とシアトルで、コーヒーショップを始めることになっていた。そこで、はるばるシアトルから、「ピートの店」を訪ね、美味しいコーヒーの淹れ方を伝授してもらうことにした。
彼らは、メルヴィルの小説「白鯨」に登場する、コーヒー好きの航海士スターバックにちなんで、自分達の店を「スターバックス」と名付けた。
豆はピートから仕入れ、「焙煎後2週間以内の豆だけを使う」というピートの教えを頑なに守った。 店は順調に伸びていった。
10年が経過し、シーゲルらは、マーケティングを強化しようと考え、ニューヨークから、ある男を呼ぶ・・
*プチ・コーヒー通
コーヒー豆には、アラビカ種・ロブスタ種・リベリカ種の3種がある。高質なのは、アラビカ種。 ロブスタ種は、大量生産できるが、味は劣る。
(第3話)
事業拡大のため、はるばるニューヨークから呼ばれた男こそ、現スターバックス会長のハワード・シュルツでした。
早速、シュルツはコーヒーの豆を買い付けに、イタリアへ出張する。 そこでは、今までシュルツが飲んだことのない様な極上のエスプレッソを味わうことができた。 また、ミラノの街のあちこちに見かける洒落たエスプレッソバーが、市民の社交場になっていることも学んだ。
大きな衝撃を受けて帰国したシュルツの頭からは、ミラノで飲んだエスプレッソの味と洒落たエスプレッソバーのことが離れなかった。
「これだ!」と考えたシュルツは、会社(スターバックス)にコーヒーバーを提案するが、会社からは全く相手にされない日々が続いた
*プチ・コーヒー通 「マキアート」イタリア語で「染み」のこと。エスプレッソにミルクで染みをつけたものが、カフェ・マキアート。 一方、ミルクに
エスプレッソで染みをつけたものが、ラテ・マキアート。ついでに、私が好きなのは、キャラメル・マキアート。
(第4話)
資金のなかったシュルツは、地元の投資家を募り、念願であったコーヒーバーを開こうとしていた。 1985年、シュルツはスターバックスの豆だけを使用するという条件で、独立を果たす。
そして、現在のスターバックスの店舗の礎となるコーヒーバー「イル・ジョルナーレ」をOPENさせた。
一方のスターバックスと言えば、当時のフレーバーコーヒーブームの中で、苦戦を続けていた。 開店して15年、グルメコーヒーを追い求めてきたため、今さら、フレーバーコーヒーを受け入れる体制にはなかったのだ。
シーゲルら3人は、次第にスターバックス経営への関心を失い始めていた。
*プチ・コーヒー通
フレーバーコーヒーとは、焙煎(ロースト)の段階でバニラやナッツなどの香りをつけたコーヒーのこと
(第5話)
フレーバーコーヒーを邪道とするスターバックスは、頑として店には置こうとしなかった。 次第に、客足は離れていった。商売としてのうま味を失ったオープン当時の3人組は、コーヒーチェーンを止め、それぞれ別の事業へ乗り出すことを
考え始めていた。
1人はスターバックスを退職し、1人はビールの販売事業をすることにした。
そんな折、「スターバックス買収」の話が持ちあがる。 買収を申し出たのは、他ならぬ、彼らがニューヨークから呼んだハワード・シュルツであった。
シュルツは、独立して開いたコーヒーバー「イル・ジョルナーレ」が成功し、11店舗を持つまでになっていた。
取引は成立し、「イル・ジョルナーレ」の看板は、一夜にして「スターバックス」へと変わった。
*プチ・コーヒー通
カップのサイズ、どれにしようか悩んだことありませんか?通常、ショートは8オンスで、いわゆる缶コーヒーとほぼ同じ大きさ。トールは12オンスで、その1.5倍。グランデは16オンスですので、ショートの2倍の大きさです
(最終話)
スターバックスを買収したシュルツは、持ち前の経営センスを活かし、次々と店舗を拡大させていきます。
「自分より有能な社員を雇い、やりたいようにやらせる」というモットーで、どの店に行っても均一な品質のコーヒーを提供できる様、バリスタの教育に力を入れてきました。
1996年、スターバックス初の海外進出となった場所を、皆さん、どこだと思いますか?
それは、銀座でした。流行に敏感な日本人なら、フラペチーノやカフェモカに飛びつくだろうと考えたシュルツの読みは、見事に当たりました。
2001年には、スイスにも出店し、念願であったヨーロッパ進出も果たしました。
現在、世界中で4000店を超える世界最大のコーヒーチェーンは、「故郷のコーヒーを忘れることができずに、真の味を追い続けた」1人のオランダ人の信念から生まれたのでした。
(補足)
スターバックスのロゴマークは、「美味しいコーヒーで、多くの人を魅了したい」という思いから、北欧神話に登場する魅惑的な歌声で、海の男たちを魅了した、尾を2つ持つ伝説の人魚セイレンから来ています。よく見ると、確かに尾ひれが2つありますね。
*プチ・コーヒー通
フラペチーノは、氷を細かく砕いた(かき氷状の)飲み物のことですが、スターバックスによって商標登録されていますので、他社で見ることはできません
--- 世界情勢/海外ニュースの読み方 http://ken-herbie.com■プチ現代偉人物語■ から---
2006-06-30 12:23
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