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JR福知山線の脱線事故 [Business]

効率性と安全は対立するものなのか

  「西日本旅客鉄道(JR西日本)は民営化以来、電化率を急速に引き上げてきた。利益を出しているからこそ、必要な設備投資を進められる。交通インフラを民営化しても、地方の長期的発展を阻害することはない」

  3年ほど前に日本道路公団など道路4公団の民営化問題で、JR西日本の井手正敬取締役相談役(当時は会長)に取材した時に、JR西日本の東京のオフィスで、同氏が力説した姿を今でも覚えている。

  井手氏は東日本旅客鉄道(JR東日本)の松田昌士氏、東海旅客鉄道(JR東海)の葛西敬之氏とともに、日本国有鉄道(国鉄)改革で中核になった3人のうちの1人だ。土光敏夫氏が率いる臨時行政調査会で国鉄の分割民営化に取り組んだ加藤寛・千葉商科大学学長は、この国鉄改革3人衆をよく知る人物。加藤氏に道路公団問題で取材した時に、国鉄改革の話題に移り、3人の話が出てきた。

  加藤氏は、井手氏が年長なこともあるが、温厚な人柄で人望もあり、3人の中でも改革のリーダー的な存在として活躍したと言う。また民営化で非効率な組織運営を排除していく気概は最も強かったと、振り返っていた。

  井手氏は2003年4月の郵政公社化の際に、総裁候補の1人に名前が挙がった。JR東日本、JR東海と比べて収益環境が厳しいと言われたJR西日本を、営業利益率10%を超える水準を維持してきた経営手腕が評価されたこともあるだろう。

▼問題の所在は、民営化より親方日の丸体質

  JR西日本管轄の福知山線で、4月25日に快速電車が脱線し多数の死傷を出した事故は、ゴールデンウイークに入った今も気分を陰鬱にさせる。弊誌の協力カメラマンの1人が、事故に遭った列車の1本前の列車に乗車していたと聞き、なおさら他人事には思えない。家族や知り合いが被害に遭われた人々の心中は察するに余りある。

  事故原因の完全な解明が済んでいないが、JR西日本の経営責任が問われるのは間違いない。郵政民営化法案の提出が佳境にある段階で、国鉄の改革主役の1人である井手氏が渦中にいるのは、運命なのか。

  この事故で、民営化→効率性の追求→安全の軽視という構図が出来上がろうとしている。しかし、井手氏をはじめとして改革派が勝ち取った民営化によって安全軽視の体質になったというのは、どうも腑に落ちない。むしろ、親方日の丸体質が残っていたため、と考えるべきではないかと。

  事故当初、脱線事故の原因解明は容易でないことは常識とされている中で安易に「置き石が原因」と強調する状況などは、組織防衛を真っ先に優先する官僚的体質が見え隠れする。

  今回の事故は国鉄が民間企業になったから起きたというのであれば、厳しい競争の中で効率性を追求しつつ、顧客の支持を得るために必死に努力している他の民間企業を愚弄するものだ。

  民間企業が競争の中で徹底的に効率化を図るのは、自然の姿だ。人の命にかかわる安全の確保が使命になる企業であっても変わらない。安全性を保たなければ、時には凶器にもなり得る自動車を製造するトヨタ自動車は、終わりなきムダ取りに邁進しているが、開発する自動車の安全性がおろそかになったという話は
聞かない。

  もちろんトヨタも完璧ではなくリコールなどはする。さらに三菱自動車のような死亡事故が起きるような欠陥品を出しても隠蔽するメーカーもあるが、原因は三菱自が民間企業だからではなく、顧客より身内が大事だという組織風土が醸成されていたから、と考えるのが自然だ。そう言えば、三菱グループは「国家と共に」という自負心が人一倍強く、「私」を超えた“民間”であることを誇りに
してきた企業だが...。

▼合目的性のない効率性はない

  運転士に対するオーバーランの処分方法や、1秒単位での遅延原因の追及など、言われているJR西日本の「効率性」の追求は、本来のあるべき効率性とは違うものと見るべきだ。それを持って効率性の追求=悪の図式を作ることは戒めなくてはならない。

  本来の効率性を考えるうえでキーワードになるのが品質だ。最近はやや元気がなくなってきたが、日本の製造業が国際的な競争力を持ち得るのは、徹底した効率化と品質の向上であることに異論はない。効率性の追求とともに高めてきた品質とは何か。

  品質管理の専門家である東京理科大学工学部の狩野紀昭教授は「英語のQualityControlのQualityは本来、『質』と訳すもの。日本ではQCのQは品質と訳されたため、QCは製品に関連するもの(モノ作り)という視点で捉えられがちだが、本来は経営全般に関わる活動」と言う。

  経営の質を高める活動と、効率性の追求は矛盾しない。ただし「effectiveness(合目的性)のないefficiency(効率性)はない」と狩野教授は言う。合目的性とは、製品やサービスの存在理由を突き詰めていくことだ。その意味を端的に示すのが、2000年に改訂されたISO9001で定義された「品質マネジメント8原則」の中にある。同原則の5つ目にある「マネジメントのシステムアプローチ」がそれで
、10のチェック項目がある。例えば、

● 組織の目的を達成するための、最も効率的な方法が理解されているか

● 最も効率的な方法で組織の目的を達成するためのシステムが構築されているかなどだ。

  その基盤になる考えが、「effectivenessの上にefficiencyが成り立つ」ことだ。effectivenessは有用性の観点から考えるのが通常で、鉄道に照らしてみれば運搬することになる。そこからefficiencyを追及していく。その時留意するのが動機づけ。今回の件で言えば、ダイヤの密度を上げていくことを、運転士を含む社員がモチベーションを高めながら取り組める形にしていたのかなどが、QCの視点から注目されると言う。

▼バラツキは避けられない

  JR西日本が私鉄との競争に勝つために速度を上げつつ正確なダイヤを維持して効率を上げていくことは、企業として当然の取り組みだ。そこにあった効率性の追求は、合目的性を持つ形で取り組まれていたのか。仮に合目的性に問題があったとしたら、本来あるべき効率性とは違うものを追求していたと考えるべきで、効率性の追求は悪玉という考えからは切り離した方がいい。

  (品)質管理の1つは、バラツキを最小限に抑える取り組みだが、そこにはバラツキは避けられないという前提がある。人間が運転している以上、列車のダイヤが乱れる=バラツキは避けられない。

  そのバラツキを少なくするのは重要な取り組みだが、バラツキをなくすことを目指していたとしたら、隠蔽工作に動くのは避け難いと、ある事故の取材から感じる。

  道路公団の民営化問題でJR西日本の井手相談役に取材した同じ年に、東京電力が原子力発電所の保守・点検で虚偽報告した事件を追った。この「東電事件」は、完璧を追求しすぎるあまりに起きた隠蔽工作だったと言えた。

  日本の原発の安全基準には、新設の際に課せられるもの以外に、運用開始後に適用していく維持規格が定められていなかった。そのため「安全上支障がないことを科学的に認められている傷さえも、日本では欠陥になってしまう」というのが東電の南直哉社長(当時)の主張だった。

  この取材の中で、欧米では破壊力学という学問が生まれ、原発や航空機など安全に関わる巨大システムを運用していくうえで、欠陥が生じるのは避けられないが、どこまでの欠陥ならば許容できるのかを科学的に分析するアプローチが浸透していることを学んだ。が、日本はこれからという段階だった。

▼精神論の前に科学的な原因分析

  東電事件は「欠陥が生じるのは避けられない」という前提で取り組むのと「欠陥はあってはならない」というのでは、大きな違いがあることを示した。欠陥が出るのは避けられないというのであれば、再び同じ問題が起きないように原因を分析し、次の向上に結びつけようとする動機づけができるが、あってはならないというならば、科学的な原因分析より「二度と起こしません」的な精神論に終
始する可能性が高い。

  JR西日本のオーバーランに対する対処やダイヤの遅延に対する処罰などの報道を見ると、「欠陥はあってはならない」という意識が強すぎるように感じられる。それが今回の大きな欠陥を生じさせる引き金になったとしたら、皮肉だという言葉では済まない。

  小さい頃の男の子の多くはそうであるように、筆者も幼少の頃のあこがれの職業は鉄道の運転士であった。列車に乗るのは大好きで、祖母がいる田舎に遊びに行く際には、当時は特急電車に8時間揺られる必要があったが、ちっとも苦にならなかった。むしろ飽きることなく車窓の風景を見たり、車両のあちこちを探検して回るのを楽しみにしていた。友人と鉄道模型で線路を作り、何時間も遊んでいたことも思い出す。

  現在は車や航空機を利用することが増えたが、出張などで地方の在来線に乗車した時には、小さい頃に感じたのと同じ心地よさを楽しみながら移動している。

  国鉄の民営化で車両の乗り心地も良くなり、駅の利便性も増しているというのが、正直な感想だ。民営化がもたらした功の部分を消さずに、利用客にとっての利便性向上とは何かという本質を追求していくことが、今回の事故で被害を受けた人々への最低限の償いだろう。

(真弓 重孝)

--- 2005.04.29 NIKKEI BP から ---


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