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「靖国」の暑い夏 [コラム]

「靖国」の暑い夏

 参道に立つと都心には珍しく蝉時雨(せみしぐれ)に襲われた。靴底から焼け付いた石畳の熱気が伝わる。東京・九段の靖国神社は今年も暑い夏を迎えている

▼同神社の資料館「遊就館(ゆうしゅうかん)」で人間魚雷「回天」の展示を見た。全長一四・七五メートル、直径一メートル。その中に人ひとりが座り込む形で入る。黒く長い異様な物体。全国回天会によれば、「回天」による戦死者は百六人。多くは二十歳前後の若者だった

▼故島尾敏雄氏の小説「魚雷艇学生」を思い出していた。主人公が特攻志願した日はこんな叙述だ。「とにかく長い長い一日であった…とらえようのない思念がうつむいた頭の中でから廻(まわ)りするだけだった…長い一日が暮れ、なお心は揺れていた…就寝前に伍長(ごちょう)が紙を集めて廻った。私は『志願致シマス』と書いて出した」

▼ところが主人公は、横須賀の水雷学校で目にした快速特攻艇に落胆する。それは「うす汚れたベニヤ板張りの小さなただのモーターボート…これが私の終(つい)の命を託す兵器なのか…というより、果たしてこのような貧相な兵器で敵艦を攻撃し相応の効果を挙げ得られるだろうか」

▼島尾氏自身、九州帝大から海軍予備学生となり特攻を志願。奄美群島で出撃命令を受けたが、発進命令のないまま終戦を迎えている。自らの体験に基づく文章には魂を揺すぶられる。「回天」で亡くなった若者らの思いはいかばかりか

▼「靖国」を巡る論議が騒がしい。昭和天皇発言メモが報道され、小泉首相が十五日に参拝するのかも注目されている。が、戦没者には静かに慰霊の心を捧(ささ)げたい。そんな環境整備はできないものか。暑い夏に思う。

 
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2006年8月8日(火) 熊本日日新聞


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ヒロシマ原爆の日 [コラム]

ヒロシマ原爆の日

 広島に、また“暑い夏8・6”がやってきた。長崎の8・9とともに、忘れてはならない日である

▼原爆忌を前にした広島市で、原爆投下を市民の手で裁こうという「国際民衆法廷」が開かれた。被告は、開発や投下に関与した当時のトルーマン米大統領、軍人、科学者たち。判決は「人道に対する罪にあたり、全員有罪」だった

▼この判決に拘束力はない。しかし、原爆投下が重大な戦争犯罪だったことをあらためて印象付ける効果はあるはずだ。六十一年の歳月が流れた今もなお多くの被爆者が放射線障害で苦しんでいる。核廃絶どころか核拡散の心配がある。「ノーモア・ヒロシマ」の声を弱めてはならない

▼広島の平和記念公園内にある原爆資料館は何度も訪れている。ここほど強烈なメッセージを放っている資料館は少ない。高熱で、ぐにゃりと曲がった一升瓶、肌に残る生々しいケロイドの写真…。悲惨な被爆のさまを初めて見た際、ちょっと目まいがしたのを覚えている

▼投下目標の変遷についての資料も興味深い。米国は原爆の威力を最大限に引き出すため地形や気象、人口などを調査。悲劇の舞台は(1)広島(2)小倉(3)長崎と決まったが、東京湾や大阪など途中で候補に挙げられた地域の中に、実は熊本の名もあったのだ。ひょっとしたら一発は熊本市に落とされ、「ノーモア・クマモト」になっていたかも

▼熊本市は、原爆投下時刻の六日午前八時十五分、サイレンを鳴らし黙祷(もくとう)を呼び掛ける。九日も午前十一時二分にサイレンが響く。熊本県では、終戦記念日には黙祷するが、原爆の日には特段何もしていないという。 


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2006年8月6日(日)  熊本日日新聞


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中東からの便り [コラム]

中東からの便り

 「いまアンマンに来ています」とメールが届いたのは、六日だった。アンマンとは中東、ヨルダンの首都。地図を広げるとこの国は、いま戦火絶えることのないイスラエルとレバノンに接し、北はシリア、そして東はイラクにつながる

▼送信してきたのは、西洋建築史を専攻する吉武隆一さん。三十歳。熊本大工学部の建築科で地中海建築史を学んだあと、いまは国士舘大イラク古代文化研究所の一員として、ギリシャにいて研究を続けている。先月下旬からはヨルダンに渡り、遺跡の発掘に携わっていた

▼数日前には西の国境の向こう側から、ズーンズーンと響く爆撃音が、三十分おきに聞こえてきた。「戦場は、報道されているよりもはるかに広い範囲にわたっているようです」。レバノン国内で煙が上がっているのも見た

▼ヨルダンのテレビは連日、レバノン空爆で犠牲になった市民や重傷を負った子どもの映像を流している。国の争い事と対極にあるはずの第三国の古代史研究者の目にも、「いまのイスラエルはユダヤ原理主義国家であり、傲慢(ごうまん)ぶりは目に余る」ものに映る。メールは、切迫する戦況を伝えていた

▼日本が、北朝鮮非難の安保理決議をめぐって活発に動いたのは、先月中旬。それが今回、全く姿が見えないのはどうしたことだろう。ロシアでのサミット前、小泉純一郎首相はイスラエルとパレスチナの双方を訪ねて自制を求めたが、戦闘が激しくなったのは、皮肉にもその直後からだった

▼きょうは六十一回目の長崎原爆忌。式典では平和を訴える声が相次ぐだろう。レバノンでの死者・不明者数は千人を超えた。 

 

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2006年8月9日(水)  熊本日日新聞


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梅干しと土光さん [コラム]

梅干しと土光さん

 長梅雨の豪雨から一転、連日うだるような猛暑。早朝からワシワシワシとセミだけは元気だ。お天道様がうらめしいほどだが、これを活用しない手はない。三年ぶりに漬けた梅を、ざるに並べた。土用干しで梅のしわも深くなった

▼梅干しは手間暇がかかるが、健康食品としては絶品だ。弁当に入れると食中毒を防いでくれる。汗をかく夏場は塩分の補給にもなる。消化吸収を助け、ガンや老化防止、疲労回復にも効果抜群という。なにせ目にするだけで酸っぱさが口中に伝わり、だ液がにじみ出るくらいだから

▼経団連会長で「ミスター行革」と呼ばれた故土光敏夫さんの食卓に並ぶのも梅干しとメザシだった。応接間にはエアコンではなく扇風機があるだけ。財界トップのつましい生活がテレビで放映されたのは二十五年前のこと。臨時行政調査会(臨調)の会長でもある土光さんの“素顔”は国民に強い印象を与えた

▼「増税なき財政再建」「受益者負担」「民活」が流行語にもなった。土光臨調は国民に我慢も強いた。小泉政権の構造改革もこれを踏襲したものだが、この四半世紀で日本社会が随分と変わってしまったような気がする

▼「一億総中流」の幻想は崩れ、格差は拡大するばかり。額に汗してこつこつと働くことより、ITを駆使して投資で巨利を得ることがもてはやされる時代。改革の旗振り役も無私の人ではなく、ファンドの推奨者だ

▼技術畑の出身で、私利私欲を嫌い、行政の無駄を省くことに汗を流した土光さん。いまの世の中を見たらきっと、梅干しを口にしたようなしかめっ面をするのではないだろうか。 


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2006年8月4日(金) 熊本日日新聞


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たまには粋に飲みたい [コラム]

たまには粋に飲みたい

 作家の故池波正太郎さんといえば時代小説。「鬼平犯科帳」「剣客商売」などが今も根強い人気だが、一方で美食家としても知られた

▼「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくように食べていかなきゃ」「酒は少ししか飲めないよ。たくさん飲むとてんぷらの味が駄目になってしまう」(「男の作法」)

▼こんなきれいな飲み方ができればいいが、なかなかそうはいかない。深酒をすると朝の寝床で後悔が待つ。「私の半生は、ヤケ酒の歴史である」(太宰治「十五年間」)。酒飲みはこんな一節に思わず共感してしまう

▼酒場詩人を自認する吉田類さんが先月下旬、本紙連載「列島ぬくもりの旅」(月一回)の取材で熊本市を訪れた。大雨にたたられたがさすがの“手だれ”、大いに飲んで食べて、触れ合い、熊本の食と文化を満喫したようだった

▼まずは片岡演劇道場で芝居を見ながら日本酒。玄海竜二さんらの芝居と踊りに「レベルが高いですね」。女優陣には「美しい人ばかり」。河岸を替え、焼酎に馬刺、辛子れんこん。「うまい。熊本は豊かだ」。酒場の集積度にも少々驚いた様子で「熊本は奥が深いなあ」

▼吉田さんは酒場をテーマに俳句を作る。「酒は人の心を鼓舞するために飲まれるもの。酒場はその舞台の一つにすぎない」。けれども、酒場は時に「駆け込み寺のように擦り切れた心を癒やしてくれる」(「酒場歳時記」)

▼熊本の舞台装置はなかなかいいようだ。<酔ふ女(ひと)の仕草や風に月見草>。吉田さんならずとも、時には粋に決めたいものだ。 


新生面
2006年8月1日(火) 熊本日々新聞


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迷惑千万の漂着物 [コラム]

迷惑千万の漂着物

 「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子(やし)の実一つ」。明治時代の島崎藤村の詩に、昭和になって大中寅二が曲を付け、国民的愛唱歌として親しまれてきた「椰子の実」。詩にも曲にもロマンがあふれ、夏の海辺でふと口ずさみたくなる歌である

▲「砂浜に椰子の実が漂着しているのを見た」と島崎に話して聞かせたのは民俗学者、柳田国男である。それをヒントに島崎は詩を編み、後に柳田に「あれを貰(もら)いましたよ」と語っている(柳田著「海上の道」)。大海原を越えて来た小さな漂着物に、詩人の心を揺さぶる何かが秘められていたのだろう

▲海辺で詩想を練る人がいれば、漂着物を丹念に調べて沿岸国の社会状況を探る学者がいる。漂着物を拾ってアートに仕上げる芸術家もいる。海辺は人の心を世界に開き、ロマンチストにする

▲そんな海辺のロマンをぶち壊しにする漂着物が今、本県沿岸を襲っている。大量の流木だ。被害は県内11市3町に及び、総数約2万8千本。夏休みというのに海水浴場も使えない。一体、どこから漂流してきたのか、原因も経路もなお不明だ

▲おまけに、付着貝殻が腐って悪臭を放っているというから始末に負えない。被害を受けた市町は撤去作業に大わらわだが、その膨大な費用の確保に頭を痛めている

▲「流れ寄る」のが「椰子の実一つ」なら大歓迎だが、「腐臭放つ流木あまた」では詩も歌も作れない。迷惑千万の漂着物である。(信)
 


水や空
2006年7月26日付 長崎新聞


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スポーツと暴力 [コラム]

スポーツと暴力

 スポーツ界が暴力で揺れている。ワールドカップサッカー決勝でのフランス・ジダン選手の頭突き退場と本人の釈明が波紋を広げる中、礼節を重んじるはずの大相撲で前頭3枚目の露鵬(ロシア出身)がカメラマンへの暴行で3日間の出場停止処分を受けた

▲最も大切な引退試合での最悪の幕切れ。「未来を担う少年少女たちにサッカーを通じて希望や夢を伝えたい。これは優勝以上に大切なことだ」「サッカーW杯 英雄たちの言葉」(集英社新書)と語っていたジダンに何が起こったのか

▲テレビのインタビューで「(イタリア選手から)耐え難い言葉を繰り返された」と釈明した。自ら「許されない行為」とし、「世界中の子どもたちに謝罪する」とする一方で「自分の行為を後悔するわけにはいかない」とも述べている

▲移民2世のジダンの釈明には、移民社会と伝統社会がせめぎ合うフランスの苦悩もにじむ。だが、スポーツを通じて暴力や差別の撤廃をアピールしていただけに「子どもたちのためにも非を認めるべき」との声も広がっているという

▲露鵬の暴行問題の背景に外国人力士の増加を指摘する声もある。「礼に始まり、礼に終わる」大相撲の伝統文化を十分教育しないまま、促成したツケが回ってきている。礼節の乱れは大相撲を単なる格闘技にしてしまいかねない

▲名選手、名力士に共通するのは品格。いかなる理由があっても「キレる」こととは無縁である。(宣)
 


水や空
2006年7月18日付 長崎新聞

 

 


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トルーマンの船旅 [コラム]

トルーマンの船旅
 
  1945年7月上旬、ちょうど61年前の今ごろ、米大統領トルーマンは船に乗り、大西洋を東に向けて旅立った。ポツダム会談に臨むためだ

▲船上に重大な情報が届いた。天皇が早期終戦の意向を表明したという内容だ。日本政府の電報を米軍が傍受して得た情報で、「日本が終戦を望んでいる明快かつ劇的な証拠」(米歴史学者ガー・アルペロビッツ)だった

▲ただ、電報にはこうもあった。「英米が無条件降伏を要求している限り、戦闘継続以外に道はない」。天皇制存続さえ保証してくれれば和平に応じたい、それが日本政府の本音であることを、米側は知り抜いていた

▲頑(かたく)なに無条件降伏を求めることには米国内でも批判が出ていた。新聞は社説で「無条件降伏に固執するな」と唱え、多くの政治家たちが「天皇制存続を保証して日本を早く降伏に導いた方が、米兵の損害も減る」と主張した

▲だが、大統領は耳を貸さず、ポツダム宣言の草案から天皇制保証条項をわざわざ削除させ、あらためて無条件降伏要求を突きつけた。日本は降伏したくてもできない状況に追い込まれ、原爆投下の日を迎える

▲ところが実は、米側は「天皇制容認」の腹を固めていた。トルーマンがその本音を隠し続けた理由はただ一つ、日本の降伏を遅らせて原爆を実際に使うためである。61年前の夏のトルーマンの船旅は、原爆を使わずにすむ選択肢を最終的に握りつぶす旅でもあった。(信)
 

水や空
2006年7月4日付 長崎新聞


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サッカー戦争終結 [コラム]

サッカー戦争終結

 トリノ五輪、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に続くスポーツのビッグイベント、サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会まであと1カ月。

 ジーコジャパンは15日にW杯日本代表の登録23選手を発表する昨年、オランダリーグのヘラクレスに入団、日本人の海外組で1シーズン最多の8得点を挙げた国見高出身の平山相太選手は、残念ながらジーコ監督の目には留まりそうにない。休学中の筑波大は退学し、プロに専念するというから今後のさらなる成長を期待したい

▲観客延べ300万人、テレビ視聴者数は延べ300億人に達すると推定されるW杯。その歴史を語る中で欠かせない出来事のひとつが「サッカー戦争」と呼ばれる1969年の中米ホンジュラスとエルサルバドルの衝突である

▲両国は国境線問題などで火種を抱えていたが、中米予選でホンジュラスが負けたことがきっかけで武力衝突にまで発展した。国境線問題は国際司法裁判所に付託され、37年後の4月18日、両国は国境線画定文書に署名し紛争に終止符を打った

▲4年前にW杯を共同開催した日韓も竹島の領有権をめぐって対立。日本は国際司法裁判所の場での解決を持ち掛けているが、韓国は拒否。先日も海洋調査をめぐって火花を散らしたばかりだ

▲「サッカー戦争」の最終終結を教訓にしたい。日韓に必要なのは偏狭なナショナリズムの熱狂ではなく、善隣外交という冷静な英知である。(宣)
 


水や空
2006年5月7日付 長崎新聞


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レバノン空爆 「中東戦争」への拡大防げ [コラム]

レバノン空爆 「中東戦争」への拡大防げ

 中東情勢がまた緊迫している。レバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラが六月にイスラエル軍の兵士二人を拉致したことが発端となり、イスラエル軍はレバノン南部を中心に激しい空爆などを続けている。

 イスラエル軍の攻撃による死者は二百十人を超え、レバノンに夏休みで滞在中のカナダ人七人も死亡した。レバノンから国外への脱出者も十万人を超えた。ヒズボラのロケット弾などを使った反撃でも、イスラエル側に二十人以上の死者が出ている。

 ヒズボラに対してはイランやシリアからの支援があるものとみられ、それがまたイスラエルの攻撃を激化させる要因にもなっている。就任間もないイスラエルのオルメルト首相は十七日、イランとシリアを非難した上で、「(ヒズボラが)兵士を解放し、ロケット弾攻撃を停止するまで全力で続ける」と明言した。

 イスラエルは、パレスチナ自治区ガザへの攻撃も続けており、新たな中東戦争へと拡大する事態も危ぐされる。

 今回の紛争の原因をつくったヒズボラの非は大きいとしても、イスラエルの反撃には「度を過ぎている」という印象も強い。罪もない市民が多数死傷する状況は異常なことだ。国際社会としても到底容認できることではない。イスラエル軍兵士の解放と停戦が、外交交渉の中で同時に実現することが望ましい。

 国連のアナン事務総長は、レバノンへの国際部隊の派遣を提案した。レバノンを訪問したフランスのドビルパン首相も十七日、イスラエルとレバノンの国境地帯に国際監視団を派遣するべきだという考え方を示した。

 イスラエルに大きな影響力を持つ米国の意向もカギを握る。ただし、米国は、イスラエルの反撃は「自衛権の行使」という見解を譲らない。

 米国のライス国務長官は近く中東を訪問する計画という。戦闘の調停に乗り出す姿勢を一応示したものとみられているが、ボルトン米国連大使はアナン国連事務総長が提案した国際部隊の派遣には消極的な姿勢を示している。

 ロシアのサンクトペテルブルクで開かれた主要国(G8)首脳会議でも、この問題を「国連が中心となって政治的、外交的解決を目指す」とする議長総括を発表したが、米国と一部の欧州首脳が対立するなど足並みは乱れている。

 ブッシュ米大統領には、もう一歩踏み出す積極性が求められる。日本政府も関係国に対し独自に「自制」を求め、米国に対しても解決への努力を促すべきである。

2006年7月19日(水)

社説  熊本日日新聞 

 


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