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ヒズボラの勝利 [Tanaka Int'l News]

 

ヒズボラの勝利

 8月14日、イスラエルとヒズボラが国連の停戦案に同意し、レバノン南部で停戦が始まった。それから3日後の8月17日、停戦案に盛り込まれた行動の一つである、レバノン南部へのレバノン軍の駐留が開始された。

 レバノン軍はレバノンの政府軍ではあるものの、兵力が約6万人で、中東諸国の兵力の水準としてはかなり小さい。昨年まで約30年間レバノンを軍事的に傘下に入れていたシリアが、レバノン軍の拡大を歓迎せず、小さな規模にとどめられていた。

 従来、レバノン軍とヒズボラとの関係は、敵とも味方ともいえない微妙なものだった。2000年にイスラエル軍がレバノン南部から撤退した後、レバノン軍は南部に進駐してヒズボラの武装解除を手がけるはずだった。だが、90年代以降、ヒズボラは軍事(ゲリラ)勢力としてだけでなく、政治勢力としての力を拡大しており、ヒズボラ側は政治力を使って武装解除を阻止した。

 モザイク状になった各派閥間の微妙なバランスで成り立っているレバノン政界では、ヒズボラの武装解除を強硬に進められる勢力が存在せず、武装解除は行われなかった。レバノン軍は、ヒズボラ軍に対し、見て見ぬふりをしていた。レバノン軍は、今回のイスラエルとヒズボラの戦争にも参加せず、兵士たちは兵舎にこもっていた。

 停戦を決めた8月11日の国連決議では「レバノン国家(政府軍)以外の武装組織を武装解除する」として、ヒズボラの武装解除を求めているが、武装解除を誰が行うかという点については何も言及していない。レバノン南部には、レバノン軍と並んで国連軍が増派される予定だが、国連軍を率いる予定になっているフランス政府などは、国連軍はヒズボラの武装解除は手がけないことを明言している。

 ヒズボラの武装解除はレバノン軍が行うことになりそうだという見方も出たが、それが確定することはなかった。停戦が始まり、3日後にレバノン軍の南部進駐が始まる段階になって、レバノン大統領は、レバノン軍はヒズボラの武装解除を行わないと宣言した。ヒズボラは、国際的な非難をかわすため武器を持ち歩かず、どこかに隠しておくことを約束する代わりに、レバノン政府に、ヒズボラの武器を探さないことを約束させた。

▼ナスララは「ナセルの再来」

 国連による停戦が始まったものの、ヒズボラの武装解除は誰も手がけず、ヒズボラの軍事力は温存されることが確定した。停戦が始まるとともに、ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララは、イスラエル軍の空爆で家を失った人々に住居を与えることを宣言するとともに、イスラエル軍が残していった不発弾の処理をする部隊を作って活動を開始させるなど、いち早くレバノン再建の動きに乗り出し、人々からの支持を高めた。

 ブッシュ大統領は「ヒズボラは敗北した」と述べたが、中東諸国では逆に、無敵だったはずのイスラエルがヒズボラを倒せず、国連の停戦に頼らざるを得なくなったのを見て「ヒズボラは勝った」という見方が多数を占めている。

 イスラエル建国以来の中東戦争で、アラブ諸国は負ける側に立たされることが多く、最近では2000年に中東和平交渉が崩壊して以来、好戦性を増すアメリカ・イスラエル連合が、中  東イスラム諸国を好き放題に制裁・攻撃するようになり、イスラム側の敗北感が強まっていた。

 そんな中で、イスラエルに負けなかったヒズボラは、中東諸国において英雄的な賛美を受け、ヒズボラ指導者のナスララは「ナセルの再来」とまで賞賛されている。(ナセルは1950年代にアラブ統一運動を起こしたエジプトの英雄的な大統領)

 今回のレバノンでの戦争が始まった当初、サウジアラビア、エジプト、ヨルダンといったアラブの親米諸国は、アメリカと同一歩調をとり、イスラエルではなくヒズボラを批判した。しかし、イスラエルがヒズボラを倒せないまま停戦に応じたことで、これらの親米各国でもヒズボラ賛美と反米・反イスラエルのイスラム主義の世論が強まり、各国政府はヒズボラ批判を引っ込め、沈黙せざるを得なくなった。アラブの親米各国は、親米路線を貫くことが難しくなっている。

 開戦時にはヒズボラを非難していたエジプトのムバラク大統領は、停戦後の8月20日には「(閣僚も出している)ヒズボラはレバノン国家の一部であり、占領軍(イスラエル軍)に対し、抵抗戦を試みるのは当然である」と発言し、ヒズボラを擁護する態度に転換した。

▼削除された国連軍の武力行使権

 今回の戦争で、ヒズボラが英雄視されるようになったのと対照的に、イスラエルは、開戦前より不利な状況に立たされている。イスラエルが今回の戦争の目的としたヒズボラの武装解除は達成できず、いずれヒズボラがイスラエルに対するミサイル攻撃を再開する懸念が残っている。

 イスラエルがもう一度ヒズボラ退治のためにレバノンに侵攻した場合、ヒズボラ支持が増えたレバノンの世論を背景に、次回はヒズボラだけでなく、レバノン軍もイスラエルの敵に回る可能性が大きい。

 レバノン南部に駐留する国連軍には、マレーシア、インドネシア、バングラディシュといったイスラム諸国が派兵を申し出ている。だが、これらの国々の世論は、すでにかなり反イスラエルになっており、派兵されてくる兵士の中に、ヒズボラ支持者が多く含まれそうなので、イスラエルにとって危険である。

 イスラエルは、イスラエルと国交を持っていないことを理由に、これらのイスラム諸国の派兵を拒否し、代わりにフランスやイタリアなどの欧州諸国に派兵を求めている。だが、イスラエル対イスラム諸国の戦いに巻き込まれ、両方から敵視されかねないフランスなどは、派兵に慎重になっている。

 イスラエルは、国連の停戦案に対し、自国軍の代わりに国連軍とレバノン軍がヒズボラを武装解除してくれることを期待していた。しかし、実際に出てきた停戦案は、誰かにヒズボラを武装解除させる権限と責任を持たせる内容になっていなかった。「国連安保理1701号決議」と呼ばれるこの停戦決議は、ヒズボラを勝者に、イスラエルを敗者にしてしまう原因を作った。

 決議決議案は8月5日、アメリカとフランスによって提案された。当初の案では、レバノン南部に派遣される国連軍に、ヒズボラを武装解除するために武力を行使してよいという、国連憲章7条で定められた大きな権限を付与することが盛り込まれていた。

 このままの形で決議が通っていたら、国連軍の権限が大きいのでフランスなどの欧州諸国はレバノン南部に派兵しやすく、フランスが率いる国連軍がヒズボラを強制的に武装解除する、という展開もあり得た。しかし実際には、8月11日に採決された最終的な決議案では、国連軍の武力行使権が削除されていた。

▼右派は地上軍侵攻、現実派は国連決議を志向

 7月12日の開戦当初、イスラエルは、空爆だけでヒズボラの陣地をすべて破壊することができると考えていたが、20日間以上、空爆を続けても、ヒズボラの陣地は残っており、ヒズボラはイスラエルに対してミサイルを発射し続けた。

 イスラエルの内部ではネタニヤフ元首相などの「右派」が「空爆でヒズボラを潰せない以上、大規模な地上軍侵攻によって潰すしかない」と主張し始めた。

 だが、イスラエルはすでに1980年代にレバノンに地上軍を侵攻させ、泥沼化した苦い経験を持っている。イスラエル政界の「現実派」は地上軍侵攻に反対し、国連の停戦決議によって、国連軍をレバノン南部に派遣させ、国連軍がヒズボラを武装解除する方がイスラエルの犠牲が少ないと主張した。

 結局、イスラエル政府は、レバノンに地上軍を大進撃させるのを延期し、その間に、アメリカに頼んでイスラエルに有利な国連停戦決議を通してもらう外交戦略をとった。イスラエルにとっては、ヒズボラを武装解除する国連軍が武力行使権を付与されることが必要不可欠だった。

 8月5日に米仏が国連安保理に提案した停戦決議案に対し、レバノンやその他のアラブ諸国は「イスラエルに有利すぎる」として強く反対した。

 決議案の審議では、アメリカとイスラエルは、国連軍が派兵され、ヒズボラの武装解除が開始されるまで、停戦後もイスラエル軍はレバノン南部から撤退しなくてよいという決議内容にしようとした。

 これに対し、フランスやアラブ諸国は、停戦直後にイスラエル軍が撤退することを盛り込むべきだと主張し、対立した。

 安保理での議論が5日目に入った8月11日の議論でも、アメリカとアラブ諸国との主張の溝は埋まらなかった。

 5日目の議論が進展せずに終わった後、議論に参加していたロシアの代表は「議論がまとまるまで、まだ非常に長い時間がかかりそうなので、とりあえず3日間の停戦を実現し、レバノン南部に取り残された市民の救援活動を先に行った方が良い」と提案した。決議案がまとまりそうもないことは、誰の目にも明らかだった。

▼土壇場での意外なアメリカの譲歩

 ところが意外なことに、この土壇場の状況で、アメリカが突然に譲歩した。ロシアが、3日間の停戦を提案する動きを見せた後、アメリカのボルトン国連代表(ネオコン)は、議場から席を外し、おそらく政権中枢の決裁を仰いだ後、30分後に戻ってくると、停戦案の最大の対立点だった、国連憲章7章に基づいた武力行使権を国連軍に付与する条項について、アラブ側の要求を受け入れ、武力行使権を削除しても良いという譲歩を行った。

 アメリカの譲歩により、停戦案はまとまったが、国連軍の力行使権は削除され、誰もヒズボラを武装解除しない状況が作られることになった。

 イスラエルでは、その数日前から「空爆作戦は失敗したのだから、早く地上軍の大進撃を始めろ」とけしかける右派の攻勢に対し、オルメルト政権は「国連の停戦決議がまとまれば、国連軍にヒズボラの武装解除をやらせることができるだろうから、大進撃はもう少しだけ待ってくれ」と説得し、レバノン国境近くに1万人以上の兵力を結集させ、いつでも地上軍侵攻ができるようにしながら、国連決議がまとまるのを待っていた。

 ところが8月11日に出てきた国連決議は、アメリカの譲歩によって、誰もヒズボラを武装解除できない内容の停戦決議となっていた。これはイスラエル政府を大いに落胆させ、オルメルト首相は8月12日、地上軍のレバノンに大進撃させる決定を急いで下した。

 しかし、すでに決定されていた国連の停戦決議では、8月14日の朝から停戦が発効することになっており、イスラエル軍に許された地上軍大進撃の時間は、わずか2日間だけだった。
イスラエルの右派は、不利な停戦しか導き出せなかったオルメルトを非難し、引責辞任を求める展開となった。

 このような経緯から分かることは、今回の停戦劇で、ヒズボラをイスラム世界の英雄に押し上げ、イスラエルを不利な状況に追い込んでしまった張本人は、ブッシュ政権だということである。ブッシュ政権は、イスラエルの味方をするといいながら、土壇場でアラブ側の要求を聞き入れ、国連決議をイスラエルに不利な形にすることを容認してしまった。

▼イスラエルを不利にしたのは過失か故意か

 こうしたブッシュ政権の動きを、単純に「間抜けな計算違い」と考える人が多いかもしれない。しかし、これまでブッシュ政権が中東でやってきた外交を見ると、むしろ私には、ブッシュ政権は、反米・反イスラエルのイスラム過激派が強化されるよう、故意の失策を繰り返しているのではないかという疑いの方が強い。

 以前の記事「ハマスを勝たせたアメリカの故意の失策」

に書いたように、ブッシュ政権は今年1月、「パレスチナで選挙を実施したらイスラム過激派ハマスが勝ってしまうので、選挙は延期したい」と考えるイスラエルとファタハ(パレスチナ穏健派)の思惑に反対して選挙を行わせ、案の定、ハマスを大勝させた。

 昨年5月のイランの大統領選挙の前には、ブッシュ政権はイランを批判中傷するトーンを強め、反米過激派のアハマディネジャドが大統領に当選することに貢献してしまっている。

 今回のレバノン戦争でもブッシュ政権は、イスラエルに対し、開戦の数カ月前に侵攻を許し、侵攻が始まると「イスラエルには、ヒズボラを潰すまで思う存分戦ってほしい」「イスラエルはシリアにも侵攻した方が良い」などというメッセージを発して、イスラエルがレバノンでの泥沼の戦闘にはまったり、戦火がシリアにも拡大したりすることを煽っている。

 そして、イスラエル政府がアメリカの扇動に乗らず、国連の停戦決議が発せられるのを待つ態度を見せると、ブッシュ政権からは「イスラエルには失望した」というメッセージが発せられている。

 以前の記事( http://tanakanews.com/g0808israel.htm )に書いたように、チェイニー副大統領やネオコンをはじめとして、アメリカの政界中枢の人々の中には、イスラエル支持を叫びながら、実はイスラエルの滅亡を誘発しているのではないかと思われる人も多い。

▼戦争再開が近い?

 すでに書いたように、8月14日から始まった停戦は、イスラエルにとって不本意なものである。しかも、アメリカの中枢には、親イスラエルのふりをして実はイスラエルを潰したいのではないかと思われる人々がおり、イスラエル右派に対し「停戦を破っても良いからもっと戦争した方が良い」と煽っている。

 さらに、中東イスラム諸国の世論は、ヒズボラの「勝利」を見て強気になり「今こそイスラエルを潰すまで戦うべきだ」といった主張が広く出回っている。

 これらのことから考えて、レバノンでの停戦は、長続きするとは考えにくい。近いうちにイスラエルはレバノンでの戦争を再開する可能性が大きい。8月20日にイスラエル軍がレバノン中部のバールベックを再び攻撃したが、これが停戦崩壊の始まりになるという予測も出ている。8月20日、イスラエルのペレツ国防相は「次の戦いに備えよ」と発言した。

 レバノン国内には、1980年代にイスラエルがレバノン南部を占領していた時期にイスラエルの傀儡軍として活動していた勢力がいる。彼らがイスラエル軍と結託し、ヒズボラのふりをしてイスラエルに短距離ミサイルを発射し、それを呼び水としてイスラエル軍がレバノンに再侵攻するのではないかという懸念を、レバノン側が表明している。

「次の戦い」では、戦場がイランに拡大される可能性もある。イスラエルでは、イランとの戦争に備えるために国防予算の急増が必要だとする主張も出てきた。

 アメリカの中枢からは、チェイニー副大統領とネオコンが、イランに対する攻撃を準備しているというメッセージが発せられている。

 米国内では、軍や国務省の元幹部が、ブッシュ大統領に対し「イランと戦争をしたら中東は大混乱になる。戦争ではなく外交交渉すべきだ」と主張する建白書を提出した。このような建白書が出されるということは、ブッシュ政権がイラン攻撃の準備をしているという一部の報道が事実に基づくものであると感じさせる。

 イラン側は8月20日から、終わりの期日を定めない大規模な軍事演習を開始しており、これはアメリカもしくはイスラエルからの攻撃に備える意味があるとも受け取られている。

▼イスラエルとシリアが秘密交渉?

 イスラエルでは、リブニ外相が、シリアと秘密交渉するための特使を任命するなど、戦争を回避して外交で対立を解消しようとする動きもある。この件についてイスラエル政府は、イスラエルに何とか戦争させたいブッシュ政権からの妨害を恐れてか、なるべく目立たないように動いている。

 こうした和平への秘密交渉の動きはありつつも、それは成功するかどうか心もとないものであり、全体的に見ると、今後の中東情勢は、和平からますます遠くなり、戦争が拡大・激化していく可能性が大きくなっている。イスラエルの新聞には「シオニズム(イスラエル建国運動)は失敗だった」と分析する記事すら出始めた。

 少なくとも、シャロンやオルメルトといったイスラエルの現実派が考えていた「占領地からの撤退によって、イスラエル国家の存続を図る」という撤退計画は、今回の戦争によって延期を余儀なくされている。その点では、イスラエルの現実派と右派の暗闘は、すでに右派の勝利になっている。オルメルト政権は崩壊するだろうという予測も流れている。


田中宇の国際ニュース解説
2006年8月22日   田中  宇

 


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アメリカにつぶされるイスラエル [Tanaka Int'l News]

 

アメリカにつぶされるイスラエル

 中間選挙を3カ月後に控えたアメリカの政界で、米軍をイラクから早期に撤退させようとする気運が再び盛り上がっている。イラクは内戦がひどくなるばかりで、米軍が駐留していること自体が内戦を悪化させる要因となっているので、これ以上駐留を続けるのはマイナスだ、というのが撤退要求派の主張の主なものである。

 与党の共和党では、大物の上院議員であるチャック・ヘーゲルが「6カ月以内に米軍の撤退を開始すべきだ」と主張し始めた。野党の民主党は、これまで撤退要求派と撤退慎重派が入り交じっていたが、最近党内の主な議員が撤退要求の方向で結束するに至った。民主党は、ラムズフェルド国防長官を辞任させ、イラク撤退を実現しようとしている。

 ラムズフェルドは早期撤退を強く拒否しているが、国防総省内でも制服組の首脳たちは、議会の撤退要求に迎合するかのような動きをする者が出てきた。制服組の最高位であるペース統合参謀本部長と、中東担当のアビザイド司令官は8月5日、議会上院で「イラクは内戦に近づいているという懸念がある」などと証言した。

 この発言を受けて、与野党内からは「われわれはイラクを民主化するために派兵したのであって、イラク人の内戦につき合うために派兵したのではない」「内戦で新生イラク政府が機能しなくなったら、もはやイラクを民主化することは不可能になるので、米軍が駐留し続ける意味がなくなる」といった意見が出始めている。

(私は「イラクが内戦に陥っている」という報道には誇張があると感じている。イラク人は皆、自分たちの内部の派閥の利害対立より、アメリカの占領の方がはるかに大問題だと知っており、内輪の殺し合いをしたくなるような状況にない。「内戦」という概念は「撤退」などアメリカの他の目的を正当化するために誇張されているのではないかと思う)

 撤退に向けた条件づくりは、米政府内でも始まっている。米政府の諜報機関の最高責任者であるネグロポンテ国家情報長官は8月4日、イラクでのアルカイダなど国外系テロ組織の活動が後退し、テロの危険性が減っているという方向性の、新しい分析報告書をまとめることを示唆した。

 今年6月、アルカイダの在イラクの指導者とされていたザルカウィが死んだことが、イラクでのテロ活動の沈静化を招いているという説明がなされている。

 ザルカウィについては、生前から「大した活動をしていないのでなはいか」「実はすでに死んでいるのではないか」「米政府がイラク占領の理由をテロ戦争と結びつけるために、ザルカウィの脅威が誇張またはねつ造されているのではないか」といった疑いが持たれていた。

 そのため「ザルカウィが死んだからイラクでのアルカイダのテロ活動が沈静化した」という説明は「これで、米軍をイラクから撤退させられる」という結論を出すための「作られた理由」だという感じがする。

 イラク南部のバスラに駐留するイギリス軍も、来年早々に、バスラの治安維持の権限を地元のイラク人治安部隊に委譲することを発表しており、アメリカだけでなくイギリスもイラクから撤退できるメドをつけようとしている観がある。

▼米軍のイラク撤退で取り残されるイスラエル

 米政界では、これまでにもイラクからの撤退気運が高まったことが何度かあり、今回の動きがそのまま早期撤退につながるとは限らない。

 しかし、もし実際に早期撤退が行われた場合、それは、中東全体を敵に回してレバノンでの長い戦争に入ろうとしているイスラエルにとって、梯子を外されるに等しい、国家存続が危ぶまれる大打撃となる。

 米軍がイラクから撤退したらどうなるか、最も的確に予測していると思われる人物は、撤退に反対するラムズフェルド国防長官である。彼は米議会で「イラクから撤退するのが早すぎると、それは中東全域の反米過激派に力を与えてしまう結果となり、アメリカはイラクからだけでなく、中東全体から撤退せざるを得なくなる」と述べた。

 米軍が占領の「成功」を宣言できないままイラクから撤退すると、中東の人々は、それをアメリカの「敗北」と、反米イスラム過激派の「勝利」とみなし、過激派に対する支持が急増し、親米派への支持が失われ、親米派が政権についているヨルダンやエジプトなどで政権転覆が起こる可能性が増す。

 最悪の場合、中東の大半の国の政府が反米的な傾向を持つようになり、アメリカは中東全域で歓迎されなくなり、中東からの全撤退を余儀なくされる。イラク占領が泥沼化して以来、すでに中東の親米国の中には、アメリカのやり方を批判する動きが出ており、それがさらに悪化することになる。

 アメリカが中東から撤退したら、イスラエルはまわりを敵に囲まれた状態で、唯一の後ろ盾を失い、取り残されることになる。7月12日にレバノンを攻撃し始めて以来、イスラエルに対する中東全域の人々の憎しみは日に日に強まっている。

 すでにイスラエルは、今回の戦争で悪化した中東のイスラム諸国との関係を元に戻すことはほぼ不可能な状態で、戦争が長期化するほど、イスラム側との関係修復は無理になる。イスラエルの唯一の頼みの綱は、イスラム側に対するアメリカの軍事的、外交的な圧力を抑止力とすることだが、もし今後アメリカのイラク撤退がなし崩し的に行われた場合、イスラエルはアメリカに頼れなくなる。

 そのころには、イスラム諸国側では過激派が強まり、イスラエルの滅亡を国家目標に掲げる民兵組織も強くなっているだろうから、彼らが弱体化したイスラエルを潰す戦争を仕掛けてくる可能性が高い。

 今のレバノン戦争が拡大し、中東諸国対イスラエルの「最終戦争」に発展するかもしれない。イスラエルは、400発持っているといわれる核ミサイルを、イスラム諸国の首都などに撃ち込むかもしれない。まさに「ハルマゲドン」的な展開になってしまう。

▼アメリカの政治家は本当は反イスラエル?

 アメリカの政治家の中には、共和党にも民主党にも「イスラエル支持」を叫びながら、その一方で米軍のイラク撤退をブッシュに要求している人が多い。

 民主党から次期大統領を狙うヒラリー・クリントンなどが好例である。ここで私が勘ぐっているのは、アメリカの政界やホワイトハウスには、実はイスラエルを潰したいと考えている人が多いのではないかということである。

 イスラエル系ロビー団体の政治力が非常に強い米政界では、イスラエル支持を表明しない政治家は生きづらい。

 それで、みんな表向きはイスラエル支持を表明している。だが、腹の中ではイスラエルに牛耳られていることに怒りや屈辱を感じており、いつかイスラエルを潰してやるとひそかに思っている政治家が多くても不思議ではない。

 そういった「隠れ反イスラエル派」は、今回のイスラエルのレバノン侵攻を見て「これでイスラエルは自滅する」と喜んでいるのではないか。

 彼らは「停戦反対」「イスラエルに、思う存分戦わせてあげるべきだ」と言っているが、それは実はイスラエルのためを思っているのではなく、イスラエル滅亡させる戦争を誘発したいのではないかと勘ぐれる。

 イスラエルがなくなれば、アメリカの政界は、異常な従来の状況から脱することができる。

 イスラエル側では、オルメルト首相らの現実派は、できるだけ早く国際軍にレバノン南部に駐留してほしいと考え「駐留するのは国連軍ではなく(アメリカの影響力がより大きい)NATO軍でなければダメ」と言っていた従来の姿勢を改め「国連軍でも良い」と譲歩し始めた。

 イスラエル軍は、明らかに苦戦している。それなのにアメリカは、レバノン政府が受け入れられない「停戦案」を国連に出したりして、停戦がなかなか実現しない状況を作り出している。

 停戦案は「完全な停戦を求める」と宣言しているが、その後の文章で「具体的には、ヒズボラがすべての攻撃(attacks)を即時停止するとともに、イスラエルはすべての攻撃的な(offensive)軍事行動を即時停止することを求める」と宣言している。この文章は、双方に対して同等な「攻撃」の即時停止を求めているように見えて、実は全く違う。

 イスラエルは、今回の戦争開始時から一貫して、自分たちの軍事行動は、ヒズボラの攻撃に対抗するための「防衛的」(defensive)なものであり「攻撃的」(offensive)なものではないと宣言し続けている。

  国連の停戦案は、イスラエルが行っていない「攻撃的」な軍事行動だけを禁じ、実際に行ってきた「防衛的」な軍事行動を禁止していないので、イスラエルは今後もレバノンで多数の一般市民を殺害する軍事行動をずっと続けられることになる。

▼神殿の丘に登り、イスラム側を怒らせたい

 米政界には、イスラエルがアラブ側と戦って負けることをひそかに望んでいる人々がいるのではないかと書いたが、アラブ側に対して無謀な喧嘩を売っている勢力の主体は、アメリカ人ではなくイスラエル人自身である。

 ここ数日、イスラエルの右派勢力は、エルサレム「神殿の丘」に登壇する動きを準備している。神殿の丘は、上部が「アルアクサ・モスク」になっていてイスラム教の大聖地であり、丘の斜面にあたる壁がユダヤ教の大聖地の「嘆きの壁」であるという区分がある。

 ユダヤ教徒は、モスクがある丘の上には立ち入りを自粛しているが、イスラエルの右派は、あえて丘の上部に登壇することで、イスラム教徒を挑発して敵対を扇動する作戦をとろうとしている。

 これは、2000年に、首相になる前のシャロン前首相が行った行為でもある。シャロンの神殿の丘登壇によって、それまでイスラエルとパレスチナの間にあった和解の可能性はすべて吹き飛び、イスラエルの政界は右派が強くなり、シャロンはその後の選挙で現実派を破り、首相になった。

 今回、イスラエル右派が神殿の丘に登壇しようとするのは、アラブ側の反イスラエル感情を煽ってレバノンでの停戦を難しくして戦争の拡大を図るとともに、オルメルト首相ら現実派がやりたがっている占領地からの撤退計画を不可逆的に潰すのが目的だろう

 オルメルトは8月3日、西岸からの撤退計画を続けると宣言したが、右派や自党内からも猛反発され、黙らざるを得なくなった。

▼戦闘機に間違った標的を教える

 イスラエル軍内の右派は、戦闘機のパイロットに間違った標的を教え、レバノンで一般市民の犠牲者を増やし、アラブ側の怒りを扇動しているふしもある。

 英オブザーバー紙によると、イスラエル空軍のパイロットの中には、空爆を命じられる標的が、接近してみるとどう見てもヒズボラの施設ではなく、明らかに一般市民の住んでいる住宅である場合が多いため、標的設定が間違っているのではないかと疑い、わざと標的を少し外れるようにミサイルを発射し、市民を殺さないようにしている者がいるという。

 イスラエル軍は「防衛軍」としての行動規範を持ち、無関係な市民の住宅を空爆することは規範に反するうえ、国際的に戦争犯罪にも問われかねない。7月30日、イスラエル空軍がレバノン南部のカーナ村の住宅を空爆し、多数の一般市民が殺害された事件も、標的設定の間違いの結果だった疑いが強まっている。

  イスラエル軍は当初、標的となった住宅のすぐ近くからヒズボラのミサイルが発射されていたと主張していたが、その後、この主張は間違いで、周辺からはミサイルは発射されていなかったことを、イスラエル政府も確認している。

 誤爆は、敵の居場所を探る諜報活動がうまく機能していないために起きる。誤爆や、無実の市民を敵のゲリラ兵と間違えて殺害してしまうことは、イラク戦争で米軍が無数に繰り返し続けていることでもある。

  以前の記事に書いたように、イラクで諜報活動を行う米軍の中には、戦闘機や歩兵隊に対して間違った攻撃目標を教えて誤爆や誤殺を増やし、故意にイラク人を怒らせる作戦を、上から命じられて展開していたふしがある。イラク占領開始から3年、すでにこの作戦は成功し、イラク人のほぼ全員が米軍を敵視し、地元のゲリラ組織を支持するようになって久しい。

 この作戦とよく似たことが、レバノンで、イスラエル軍によって行われているのではないかと思われる。イラク戦争を計画し、遂行したのは米政権内のネオコンであるが、彼らはイスラエルで今レバノン侵攻を拡大させている右派とつながりが深い。

 敵対を扇動し、戦線を拡張したがるイスラエル右派の最終目標はどのようなものなのか、不明な部分が大きい。アメリカが中東に全力で関与していた以前なら、右派の目標は「アメリカ・イスラエル同盟が、アラブ諸国との長く対立する構図を作ることで、アメリカに永続的に頼れる状況を生み出すこと」だったと考えられたが、今のアメリカは世界への関与を縮小しつつあり、イスラエルにとって頼れない存在になっている。

 だからこそ、シャロン前首相は2004年に右派から現実派に転換し、占領地撤退をやりだした。

 イスラエルの現実派の論客は最近「イスラエルは、早くアメリカのネオコンやキリスト教原理主義と縁を切るべきだ。ネオコンやキリスト教原理主義は、イスラエルを、中東諸国との間違った戦争の最前線に立たせようとしている。彼らと組むことは、イスラエルの破滅につながる。イスラエルは、アメリカを国際協調主義の方向に引き戻す努力をせねばならない」と主張する論文をイスラエルの新聞に載せた。

 この主張は正しい。しかし、もう遅すぎる。すでにイスラエルは、間違った戦争の最前線に立たされ、退却が滅亡を意味する状態に置かれている。

  しかも、アメリカを国際協調主義に戻す努力は、イギリスのブレア首相が何年も試みたが、失敗したことである。世界的な常識はもはや「イスラエルがアメリカを国際協調主義から引き離し、ブッシュに好戦的な戦略をとらせた」というものになっており、イスラエルは完全に悪役にはめられてしまっている。

 イスラエルの右派とアメリカのネオコン、キリスト教原理主義は、イスラエルの国益のために戦争を拡大しているかのように言いながら、実際には、イスラエルを破綻に導いている。彼らの真の目的は、やはり、以前の記事に書いたように「世界を多極化し、それをイスラエルのせいにする」ことなのかもしれない。

 

田中宇の国際ニュース解説
2006年8月8日  田中 宇

 

 


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ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」 [Tanaka Int'l News]

 

ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」

 パレスチナで1月25日に行われた議会(評議会)の選挙は、議会の132議席のうち76議席(58%)を、イスラム原理主義の「ハマス」が獲得し、圧勝した(ハマス支持の少数政党の4議席を加えると80議席、61%)。従来の与党だった政教分離派の「ファタハ」(PLO主流派、アラファトが作った政党)は43議席しかとれなかった。

 1993年のオスロ合意によってパレスチナ暫定国家が作られた以来、ファタハはずっと与党で、欧米と協力し、イスラエルと交渉しつつ、パレスチナ国家の建国と発展を実現しようとしてきた。ところがその後、イスラエルとアメリカの政界では、パレスチナ・アラブ側との和解を嫌う右派(タカ派)がどんどん強くなった。ここ数年、イスラエル軍は「テロ防止」の名目で、パレスチナ人の町に外出禁止令を出したり道路封鎖をしたりして経済活動を阻害し、パレスチナ人の生活は悪化する一方だった。

 ファタハが運営する自治政府内では横領などの腐敗もあり、パレスチナ人は現状の政治体制に不満を募らせていた。「腐敗撲滅」を宣伝文句に掲げて選挙に臨み、圧勝したハマスは、イスラム教の相互扶助の精神にのっとって貧困層のために病院や学校を経営しており、人々の信頼はあつかったが、パレスチナ政府で政権を担当した経験はなかった。人々はハマスが政権をとったら状況が改善されると確信していたわけではなく、藁をもすがる気持ちでハマスに投票した。

▼「ヒッピーの町」でも完勝したハマス

 イスラエルの過酷な占領政策がパレスチナ人の気持ちを根底から変えた例は、パレスチナ国家の暫定的な首都であるヨルダン川西岸の町ラマラでの投票結果から見て取れる。(パレスチナ国家は東エルサレムを首都とする構想だが、イスラエルが占拠しているのでラマラに行政府を置いている)

 ラマラには、歴史的にキリスト教徒が多く住んでおり、イスラム教徒が多いパレスチナの中では、飲酒や、女性の肌の露出度が高い欧米ファッションに対する社会的な寛容度が比較的高い地域として知られてきた。敬虔なイスラム教徒は、ラマラを「ヒッピーの町」と呼んだりしていた。

 そのため、1月25日の議会選挙に際しては、ラマラの選挙区では、アッバス議長が率いる政教分離派の与党「ファタハ」が、他の地域に比べると優勢であると予想されていた。ところが開票してみると、キリスト教徒に割り振られた1議席を除き、すべての議席がハマスの候補者によってとられてしまった。

 ハマスは、厳格なイスラム社会を作ることを目指しており、ハマスが以前から優勢なガザ地区では、すでに酒屋や、酒類を出すレストランは、公式なかたちでは全く存在していない。自由を好むラマラ市民は、ハマスを勝たせたら、飲み屋や酒屋がラマラからも消え、女性が頭髪を露出して歩くことも規制されるかもしれないと予測していただろうが、それでも彼らはハマスに投票した。イスラエルによるパレスチナ社会への破壊行為は、それほどに深刻な打撃を与えていたということになる。

 パレスチナ議会(評議会)は任期が4年だが、オスロ合意に基づく初めての選挙が1996年に行われた後、イスラエル側の態度硬化と、パレスチナ側の抵抗運動(アルアクサ・インティファーダ)による混乱のため、2000年の選挙は行われず、今回が2回目の選挙である。ハマスはオスロ合意に反対して1回目の選挙に出馬しなかったため、今回が初めての国政選挙参加だった(すでに市町村議会選挙には出ていた)。ハマスは、初めての出馬で、いきなり圧勝し、与党になってしまった。

▼選挙延期で談合したのに・・・

 以前の記事に書いたように、ハマスの優勢は投票日前に分かっていた。イスラエル側の事前の世論調査は、ハマスはパレスチナ人の60-70%に支持されているという結果を出しており、この調査は、実際の選挙の結果をほぼ正確に予測していたことになる。

 ファタハは、オスロ合意によってパレスチナ国家を認められたのと引き替えに、イスラエルの国家主権を認めたが、ハマスは、オスロ合意はパレスチナ人を弱い状態に押し込めておくためのものであるとして反対し、イスラエルが消滅するまで戦うことを組織目標として掲げている。

 イスラエル側は、ハマスがファタハを破って政権に就く選挙の実施は避けたかった。パレスチナ側でも、ファタハのアッバス議長(大統領)は、選挙をすれば負けると分かっていたので、なるべく延期したかった。もともと議会選挙は昨年7月に行われる予定だったが、アッバスは治安の悪化を理由に、今年1月まで延期した経緯があった。

 昨年12月下旬には、イスラエルが「1月の選挙では、東エルサレムでの投票を許可しない」と発表した。東エルサレムはパレスチナの首都になる予定の地域だが、イスラエル側が占領を続けており、治安維持の名目で投票禁止が発表された。これに対してアッバスは「東エルサレムで投票が許可されないので、投票を延期せざるを得ない」と表明した。イスラエルに責任をなすりつけ、アッバスは2度目の投票延期を実現できる状況が作られた。

 イスラエルにとっても、投票が延期されてハマスの台頭がしばらく食い止められるのは好都合だった。昨年のガザ撤退に続いて、ヨルダン川西岸地域からも撤退し、イスラエルとパレスチナ側を隔離壁によって分断し、ブッシュ政権の「中東民主化」戦略の失敗によって今後さらに加速しそうなパレスチナ・アラブ側の「過激化」に備えるための時間的な余裕を作れるからである。東エルサレムでの投票禁止問題を口実にパレスチナ議会の選挙を延期することは、アッバスとイスラエル政府の間で、目くばせ的な談合が行われた結果だったに違いない。

 ところがその後、議会選挙は予定どおり実施されることになった。なぜか。それは、アメリカ政府がアッバスに「選挙を予定どおり実施しなければ、経済支援を打ち切る」と圧力をかけたからだった。

▼あまりにお粗末なアメリカの予測

 アッバスはパレスチナ社会での不人気を挽回しようと、昨年夏に欧米の反対を押し切って政府職員の給料を引き上げた。この問題を口実に、ブッシュ政権は、今年1月の選挙が延期される気配が濃厚になってきた昨年12月に、パレスチナ自治政府への経済支援を凍結した。そして「選挙を予定どおり行えば、凍結を解除する」と宣言した。

 パレスチナ自治政府は財政が貧困で、欧米からの経済支援がなければ、政府職員や治安部隊への給料すら払えない。1月25日に選挙を実施せず、凍結が続けば、2月1日に支払い予定の職員の給料が払えなくなる。職員のうち6万人は武装した治安維持部隊で、彼らに給料を払わなかったら、反乱が起きる懸念があった(アッバスに対する不満から、すでに小規模な反乱が何度も起きていた)。アッバスは泣く泣く選挙を実施した。そして事前の懸念どおり、大敗した。

 ブッシュ政権がアッバスに「予定どおり選挙をやれ」と圧力をかけたのは、ブッシュが頑固に続けている「中東民主化戦略」の一環だった。この戦略は「民主化を実現すれば、中東の有権者は平和を好む政党を勝たせるはずで、テロ撲滅につながる」という理論に基づいているのだが、パレスチナの場合、この理論が破綻していることは、選挙前から分かっていた。

 ハマスは、米政府によって「テロ組織」と見なされている。事前の調査で「テロ組織」のハマスが圧勝して平和を好むファタハが野党に転じることが明らかに予測されていたのに、米政府は「テロ撲滅のための民主化戦略」だと言って、アッバスに選挙をやらせた。イスラエル政府も以前から「中東民主化戦略は失敗するのでやめた方が良い」とブッシュに忠告していたが、無視され続けており、ブッシュがアッバスに圧力をかけて選挙を実施させるのを黙って見ているしかなかった。

 パレスチナの選挙後、あまりにお粗末な「中東民主化戦略」に対する釈明を記者団に問われたライス国務長官は「(国務省内では)誰もハマスが勝ちそうだとは予測していなかった」と述べた。確かにCIAは「ハマスは善戦するが、議会の最大勢力がファタハである状況は変わらないだろう」と予測していたが、イスラエル政府は、その予測は甘すぎると見ていた。

▼繰り返される失策は過失ではなく故意?

 米政府の予測間違いは、非常にお粗末な「重過失」的な失態であるが、これが始めてのケースではない。2003年のイラク侵攻前には「フセイン政権さえ倒せば、イラクは簡単に民主化できる」という根拠の薄い予測を掲げ、中東や軍事の専門家の反対を押し切ってイラクに侵攻し、案の定、ゲリラ戦の泥沼にはまっている。イラクでは最近の選挙で反米・親イランのシーア派のイスラム主義勢力が優勢となり、米軍が撤退したらイラクは反米の国になる道筋がすでにできている。

 またエジプトに対しては、在野の専門家たちが「選挙をしたらイスラム主義のイスラム同胞団が台頭してしまう」と予測したのに、米政府は「アメリカ型のリベラル主義を信奉する野党が躍進する」と、ここでもお粗末な予測を発し、エジプトのムバラク大統領に圧力をかけ、昨年11月に議会選挙を実施させた。その結果は、イスラム同胞団が候補者を立てた選挙区の6割で当選した半面、リベラル派は惨敗した。ブッシュ政権は、独裁者のムバラクよりもアメリカ色の強いリベラル派を勝たせるつもりだったが、結果は、より反米のイスラム同胞団の台頭を招いた。

 これらの度重なるお粗末な戦略を、単なる「過失」の連続と考えるには無理がある。法律の世界では「ひどい過失(重過失)」と「故意の失敗」は、ほぼ同じことであると見なされていると聞くが、ブッシュ政権にも、これが当てはまる。イラク、イラン、パレスチナ、エジプト、シリア、ロシア、北朝鮮、ベネズエラなど、ブッシュ政権が「民主化する」と言って介入した国々はすべて、以前より強くて反米の政権になる方向に動いている。それなのに、ブッシュは全く懲りず、頑固に「民主化」の方針を続けている。こうした状況からは、ブッシュ政権が「故意の失敗」を繰り返しているのではないかという疑念が湧く。

▼ハマスの譲歩を蹴ったアメリカ

 1月25日の選挙でハマスが勝利した後も、ブッシュ政権の重過失的な中東民主化戦略は続いている。新たに実現しつつある重過失は「ハマスとイランに、反米・反イスラエルの連合戦線を組ませること」である。

 選挙前、イスラエル政府は「ハマスが政権をとったら、パレスチナ人の代表としてイスラエル側と交渉しなければならなくなるので、イスラエル国家の存在を認めざるを得ない。責任ある立場についたら、ゲリラやテロの活動も抑制するはずだ。ハマスは政権をとることで穏健化する」と分析していたが、選挙直後から、その分析通りの兆候があらわれた。

 1993年にパレスチナ暫定国家が作られて以来、政権を持ったのはファタハだけだったから、ハマスはこれまで一度も国家運営をしたことがない。議会選挙に勝って単独与党になり、組閣しなければならなくなったが、未経験なのでろくな政権運営ができない。そのためハマスは、これまで政権を執っていたアッバス大統領らファタハに、政権内に残ってほしいと要請し、連立政権を作ろうとした。

 アッバスは、ハマスがイスラエルを敵視する姿勢をやめることを、連立を組む条件として出した。欧米も「イスラエル敵視をやめたら、凍結している資金援助を再開する」と表明した。

 これに対してハマスは「イスラエルがパレスチナ占領地から完全に撤退し、パレスチナ国家の樹立を認め、難民問題の解決にも協力するなら、イスラエルと長期に停戦しても良い」というところまで譲歩した。イスラエルのこれまでのやり方から見て、完全に信用して敵視を永久にやめるのは時期尚早だが、その一歩手前のまでなら譲歩しても良いということだった。

 だが、ハマスをテロ組織と見なしているアメリカのブッシュ政権は、これでは不足だと主張して「イスラエル敵視を完全にやめない限り、ハマスを援助しない」と言い続けた。ハマスは「脅しには屈しない」と言い返し、イスラム諸国に助けを求めた。

▼派閥を超える反米・反イスラエルの結束

 サウジアラビア、エジプト、マレーシアなどは、アメリカとの関係悪化を恐れ、ハマスに資金を出そうとしなかったが、反米・反イスラエルの方針を掲げるイランは、石油価格高騰で国庫が急速に豊かになっている産油国でもあり、欧米に代わってハマスに経済援助をしても良いという姿勢を見せた。

 同じイスラム主義でも、ハマスはスンニ派、イランはシーア派で、従来の中東の常識で考えると、両者が親密な関係になることは考えにくかった。しかし、イラク侵攻後の中東で強まるばかりの反米・反イスラエル意識は、イランがハマスを支援するという、常識を覆す事態を生んでいる。イランは最近、シリアのバース党アサド政権や、エジプトのイスラム同胞団といったスンニ派の各勢力とも「反米・反イスラエル」を軸として、親密な関係を構築している。

 イランがハマスに接近したのを見て、イスラエルやEUは慌てた。ハマスがイランからの支援を受け、欧米からの援助がなくてもパレスチナ政府を運営することに成功したら、その後のパレスチナは欧米の言うことを聞かなくなり、イランと組んでイスラエル敵視を強めかねない。そのため、パレスチナに対する国際援助の3分の2を拠出するEUは、援助を止めないことを決定した。だがアメリカは、まだ強硬姿勢を変えておらず、欧米間で足並みが乱れている。

▼カディマが負けたらイスラエルは終わり?

 イスラエルでは3月28日に議会選挙が予定されている。従来、シャロン首相が率いる中道派の新政党「カディマ」が優勢で、シャロンが脳出血で倒れたが、後を継いだエフド・オルメルト首相代行が、シャロンが途中までやった「パレスチナ占領地からの一方的な撤退」を継続する方針を掲げ、引き続き国民からの強い支持を受けていた。オルメルトのカディマ政権は、次は西岸地域からイスラエル人入植者を撤退させる方針で、すでに強硬な入植者が多いヘブロンなどでは、軍が入植地の強制撤去に着手している。

 しかしハマスの勝利以来、イスラエルの世論は、占領地からの撤退に対し、やや消極的になっている。この先ハマスが欧米との関係を絶ってイランの傘下に入り、イスラエルに対する攻撃姿勢を強めた場合、カディマ支持が減り、ネタニヤフのリクードが優勢になって選挙に勝ち、4月にはネタニヤフが政権をとって占領地からの撤退政策を打ち切り、ハマスとの対決姿勢を強める可能性がある。

 イスラエルにとって唯一の頼みの綱であるアメリカの覇権力が弱まる一方、中東全域で反米・反イスラエルの勢力がどんどん強くなっている。シャロンは、こうなることをイラクが泥沼化した2003年秋ごろには見抜き、国内右派の反対を押し切ってガザからの一方的な撤退を実施したが、その戦略は正しかったことになる(一方的な撤退でなく、パレスチナ側と交渉していたら、ハマスが選挙に勝った時点で交渉が頓挫し、危機になっていた)。

 今後、ネタニヤフが政権に就き、シャロンの撤退策を破棄して、再び好戦的なパレスチナ弾圧策に戻った場合、イスラエルは、イランをはじめとする中東全域で台頭するイスラム主義勢力との絶望的な戦いに突入することになり、最終的には戦争によるイスラエル国家の消滅もあり得る事態になる(ただし、ネタニヤフは政治嗅覚が鋭いので、政権を執っても好戦的な戦略を採らず、カディマの撤退政策を引き継ぐ可能性もある)

 アメリカのイスラエル支持者の間では、3月の選挙ではオルメルトのカディマを勝たせないと大変なことになるという意識があり、ブッシュ政権に対し、わざわざハマスとイランをくっつけてカディマを不利にする「重過失」はやめろ、という圧力がかかっている。現時点(2月2日)では、ブッシュ政権がハマスに対する態度を軟化させるかどうか、まだ見えてこない。

 以前の記事「イスラエルとロスチャイルドの百年戦争」に書いたように、欧米には親イスラエル派のふりをして、実はイスラエルを潰そうとする勢力がおり、ブッシュ政権もこれまでの行動から、彼らの代理人であるという感じもする。だとしたらブッシュ政権は、短期的にはイスラエルの言うことを聞いても、長期的にはイスラエルを潰そうとする計略を隠然と続けるはずである。この件については、事態が進展したら改めて解説する。

▼キューバ危機との類似

 米政府が、ハマスとイランをくっつけようとしている「重過失」は、1959年の革命で社会主義国になったカストロ政権のキューバに対してやったことと似ている。キューバは貧乏で小さな国なので、革命を成功させたカストロはアメリカと敵対したいとは思っておらず、アメリカと交渉して関係を正常化しようと考えていた。しかし米政府はキューバに対する強硬姿勢を崩さず、困ったキューバはソ連に援助を頼まざるを得なくなり、ソ連のミサイルがキューバに持ち込まれる「キューバ危機」に発展した。

 当時アメリカの政界では、冷戦を激化させて国防予算を急増させようとする「軍産複合体」の勢力が強くなっていた。アメリカの重過失的な失策によって、キューバがソ連の傘下に入り、アメリカのすぐ近くに親ソ連の国ができたことで、アメリカ人は「冷戦」の危機をひしひしと感じ、軍産複合体は国防予算は急増させることに成功した。キューバに対する失策は「故意の失敗」だったと思われる。

 キューバに対するアメリカの故意の失策が国防予算の増加を目的としていたようだが、同様に考えた場合、ハマスに対するブッシュ政権の故意の失策は、何が目的なのだろうか。私にとってこの疑問は、イラク侵攻が故意の失策として行われたのではないかという疑いを2003年に持って以来のものだ。

 この件に関しては、過去の記事で何回か考察したが、完全には解明されていない。現時点の私の結論は、ブッシュ政権が故意の失策を行う理由は「アメリカが唯一の覇権国である状態を終わらせ、世界を多極化するため」であり、多極化が必要な理由は、前回の記事に書いたように「アメリカを動かしているのは国際資本家で、彼らは多極化によって、世界的な投資効率を改善しようとしている」ということではないか、と考えている。

 

田中宇の国際ニュース解説
2006年2月2日  田中 宇


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北朝鮮ミサイル危機で見えたもの [Tanaka Int'l News]

北朝鮮ミサイル危機で見えたもの

北朝鮮が、アメリカ本土まで届くとされる長距離ミサイル「テポドン2号」の発射実験を行いそうだと日米韓の当局が言い始めたのは、5月下旬のことだった。

6月に入り「北朝鮮はミサイルをサイロから出した」「燃料の注入を始めそうだ」といった、偵察衛星の写真解析をもとにした情報が頻繁に流れるよ
うになった。


6月20日ごろまでには、日本海岸の基地内のミサイルの周辺に燃料タンクが置かれているのが上空から確認された。ミサイルの燃料は腐食性で、注入したら数日間のうちに発射する必要があり、天候なども考慮すると、6月24-25日の週末に発射される可能性が高いと言われていた。

日本政府は「ミサイルを発射したら経済制裁を検討する」と発表し、アメリカ政府は「事前通告なしの実験は、本気のミサイル発射と見分けがつかない。

 

戦争になるおそれがある」などと発表した一方、韓国政府は「置かれている燃料の量から考えて、搭載されているのは爆弾ではなく人工衛星であり、ミサイル発射ではなく人工衛星の打ち上げだろうから心配しなくて良い」と緊張緩和に動いた。


北朝鮮政府は6月20日に「わが国にはミサイル実験を行う権利がある」と発表するとともに、北朝鮮の国営メディアは「6月25日に重要発表がある」と予告し、前回1998年の発射実験のときの成功談を報じたりした。6月24-25日にミサイル発射実験が行われそうな流れだった。


ところが実際には、発射実験は行われなかった。どうやら北朝鮮政府は、本当に注入しているかどうかは上空からは分からないことを利用して、人工衛星から見えるように燃料タンクを置きつつ実際には注入しなかったり、自国のマスコミで重要発表を予告したりして、アメリカなどの外国に対し、ミサイル発射の芝居を打ったようである。

▼アメリカとの直接交渉が目的

北朝鮮は、なぜミサイル発射の芝居を打ったのか。日程的なタイミングから考えると、その理由は「アメリカに直接交渉を断られたから」である。北朝鮮をめぐる6カ国協議は中国や韓国が主導だが、北朝鮮は中韓との交渉には積極的でない。

 

北朝鮮は「世界一強いアメリカから国家の存続を認められれば、他の国々など怖くない」と考えて、アメリカとの2国間交渉の成立を最重要課題にしてきた。

北朝鮮政府は6月1日、アメリカの対北朝鮮交渉担当者であるクリストファー・ヒル国務次官補を平壌に招待したいと発表した。同日には、4月に訪米してブッシュ大統領との個人的なつながりを得た中国の胡錦涛国家主席もブッシュに電話して、北朝鮮の招待を受けてヒルを訪朝させてほしいと依頼した。

しかしブッシュは「わが国は6カ国協議の枠組みでのみ、北朝鮮と交渉する。直接交渉はしない」と言って断った。


北朝鮮がミサイル発射の芝居を本格的に始めたのは、北朝鮮がヒルを招待し、米側が断ってからのことである。ミサイル発射の懸念が高まった6月21日、国連で北朝鮮の代表が、アメリカとの交渉を希望すると表明している。


米政府内には、核問題の解決には、北朝鮮と直接交渉した方が良いと考える人もいるが、政権中枢は、直接交渉を強く拒否している。

4月中旬、東京で「アジア協調対話」の定期会合が開かれ、そこに出席したアメリカのヒル次官補と北朝鮮外務省の代表が、全体会合とは別に米朝が2者会談できるよう、日本側が計画したが、米政権中枢が直接対話に反対し、実現しなかった。


北朝鮮がアメリカとの2国間交渉を希望し続け、アメリカはそれを断り続け、北朝鮮が過激な言動をとってみせると、アメリカは中国に向かって「6カ国協議は貴国が中心なのだから、北朝鮮を抑えてくれ」と求め、中国や韓国が動き出す、ということが2003年以来繰り返されてきた。

今回も同じパターンが繰り返されており、中国政府は、6カ国協議の他の参加国に対し、7月下旬のG8首脳会議の後、非公式の6カ国協議を行うことを提案している。

 

中国が目指している解決策の中身はまだ明らかではないが、これまでの経緯から、昨年9月の6カ国協議でアメリカが認めた北朝鮮に対する不可侵声明を、さらに具体的な不可侵の約束にすべくアメリカに確約させ、その見返りに、北朝鮮に核査察の受け入れなどを飲ませるというシナリオを中国が展開しようとするのではないかと推察される。

北朝鮮も、このような中国による問題解決の動きに不満はないようで、その後、テポドン2号の発射騒ぎは、今のところおさまっている。

▼イラン問題との関係

昨年9月、中国の主導で、アメリカが北朝鮮に対する不可侵を約束した6カ国協議の共同声明が出されて以来、北朝鮮はアメリカとの直接交渉を求める動きを止めていた。

それがここにきて、ミサイル発射芝居という形の対米直接交渉の要求が、北朝鮮から改めて出てきた背景には、イランの核疑惑をめぐる交渉にアメリカがしぶしぶながら参加することを決めたことが関係していそうだ。

アメリカは、イランでイスラム革命が起きて反米政権ができた1979年以来、27年間にわたり「イランは敵なので交渉せず、政権転覆させる」という態度を貫いてきた。昨年からの核開発疑惑で、EU(英独仏)は、イランと交渉して核開発をやめさせようとした。

だがイラン側は、アメリカから潰されかねない中で、EUと和解して譲歩することなどできないと拒否し、アメリカが参加しない交渉はやらないという方針をとった。EUはアメリカに、交渉に参加するよう頼み込み、アメリカは5月末、不本意ながら参加を了承した。

(ただし、アメリカの交渉参加は、イランが民間利用も含めたウラン濃縮工程をすべて止めることを前提としている。イランは民間利用のウラン濃縮の停止を強く拒否しているため、アメリカは、形式上は交渉に参加したものの、それは実質的な変化ではない)

イランに対するアメリカの27年ぶりの態度の軟化を見て、北朝鮮の金正日は「うまくやれば、アメリカはわが国とも直接交渉してくれるかもしれない」と思ったのだろう。

それで、6月1日に、ヒル国務次官補を平壌に招待する声明を出した。しかし、アメリカは乗ってこなかったので、金正日は、ミサイル発射の芝居を打った。

▼韓国との関係改善への警戒

北朝鮮がミサイル芝居を打ったことには、もう一つ背景がありそうだ。それは、韓国との関係である。昨年9月の6カ国協議で、アメリカが北朝鮮に不可侵を約束する共同声明を出した後、韓国は北朝鮮との関係改善に動き出した。

今年5月には、南北の鉄道の相互乗り入れや、金大中・韓国前大統領の平壌訪問、韓国が北朝鮮に作った開城工業団地への外国企業の誘致などの計画が浮上し、初の南北軍事対談も行われ、南北関係が進展した。

韓国のイ・ジョンソク統一相は5月19日「今後1年以内に、南北関係は劇的に改善するだろう」という予測を発表した。

しかしその一方で、昨年9月に示されたアメリカの北朝鮮に対する不可侵宣言は、その後具体的な形になっていかず、北朝鮮としては、アメリカから攻撃される懸念が消えていない。

韓国との緊張緩和が先に進み、鉄道線路の結節などが実現すると、北朝鮮としては、在韓米軍に対する防衛力が低下してしまう。

そのため北朝鮮は、韓国側との緊張緩和の動きを止めることにしたらしく、5月25日に予定されていた初の鉄道の相互乗り入れを、前日になって突然中止すると発表した。

その後、北朝鮮側は、アメリカからより明確な不可侵の約束をとりつけるため、もう一度事態を緊張させるべく、ミサイル発射の芝居を打ち、これを受けて、6月27日に予定されていた金大中の平壌訪問も延期された。

このように、今回のミサイル騒動によって、韓国と北朝鮮の緊張緩和の動きは止まったが、今後、中国の主導で、アメリカの北朝鮮に対する不可侵の約束が明確化される動きが再開されれば、南北での緊張緩和の動きも再開されると予測される。

▼北朝鮮にだけ甘いチェイニー

金正日の芝居は、今回も、アメリカの態度を変えるには至らなかったが、副産物として、ブッシュ政権が本当はどのような戦略を持っているのかを暴露する効果があった。

北朝鮮のミサイル発射準備に対するブッシュ政権の反応として最も象徴的だったのは、チェイニー副大統領の対応だ。彼は「北朝鮮のミサイルの能力は大したことがないので、アメリカにとって脅威ではない。

だから北朝鮮を先制攻撃する必要はない。北朝鮮を攻撃すると、朝鮮半島で戦争が起きてしまうので、攻撃しない方が良い」と、6月22日のテレビのインタビューで発言した。

チェイニーは2003年のイラク侵攻前には「イラクが大量破壊兵器を持っている根拠が薄いとしても、イラクのミサイルがアメリカには届かないとしても、イラクがアメリカにとって脅威であることには変わりがなく、いずれフセインはアメリカを攻撃してくるのだから、その前にイラクを先制攻撃すべきだ」という趣旨の発言を繰り返し、政権内のネオコンを率いて、大量破壊兵器も長距離ミサイルも持っていないことが分かっていたイラクに米軍を侵攻させる計画を主導した。

チェイニーは、核兵器を持つまでには10年以上かかるイランに対しても、先制攻撃を辞さない方針をとり、最近はロシアに対しても敵対的な強硬発言を行っている。

脅威を誇張し、敵対を煽り、交渉を拒否して軍事的な「解決」を行うのが、チェイニーらブッシュ政権の主流派(タカ派)のやり方だった。ところが彼らは、北朝鮮に対しては全く逆の姿勢をとっている。

北朝鮮は、長距離ミサイルも核兵器も持っている可能性が高いのに、チェイニーらは「大した脅威ではない」「戦争になるので攻撃しない方が良い」と、脅威を小さめに評価している。

この傾向は以前からのものだ。たとえばイラク侵攻の戦略を立案したネオコンとチェイニーのシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)は、2003年のイラク侵攻直後「北朝鮮とは戦争しない」という論文を出している。

▼消極的な中国に北朝鮮問題を主導させる

ブッシュ政権が、北朝鮮に対してだけ「攻撃しない」と言い続けているのは、おそらく、そうしないと中国が6カ国協議の主導役を務めてくれなくなるからである。中国は、アメリカに敵視されることを恐れている。

共産党政権樹立後の60年間の米中関係は、アメリカ側の反中国派(冷戦派、軍事派)と親中国派(財界、多極主義者)との暗闘が反映されて揺れ続けてきた。

中国側は、冷戦期のようにアメリカから敵視される傾向が強まると、経済制裁や軍事包囲網などによって国力を消耗させられるので、アメリカとの関係を悪化させたくない。

アメリカが北朝鮮を軍事攻撃する方針の場合、中国が北朝鮮の問題に関与しすぎると、中国は北朝鮮の味方だとアメリカからみなされ、米政界の反中国派に格好の攻撃材料を与えかねない。

アメリカが中国に「北朝鮮問題の解決を主導してくれ」と頼んでくるのは、あとで中国を北朝鮮と同罪の悪役に仕立てて潰しにかかるための「引っかけ」かもしれないと中国側は疑い、北朝鮮問題に
関与することに消極的だった。

中国側を警戒させないためには、ブッシュ政権は、緊張が高まるごとに「北朝鮮を攻撃しない」と言い続ける必要がある。

中国は、アメリカとの敵対は避けたいが、アジアでの覇権国にはなりたいと考えている。ブッシュ政権は、この中国の野心を利用して、北朝鮮問題の解決を中国にやらせている。

中国に北朝鮮問題を主導してもらうため、アメリカは密約的な交換条件を出した疑いもある。私が疑っている交換条件の一つは「アメリカは台湾の独立運動をやめさせる」という約束である。

ここ1-2年ほどの間に、アメリカは独立傾向を持つ台湾の陳水扁政権に対してしだいに冷淡になっている半面、親中国の野党・国民党の馬英九党首を、今年3月の訪米時に厚遇している。

中国側は「北朝鮮問題に取り組むから、日本の首相の靖国参拝もやめさせてくれ」とブッシュ政権に求めた可能性もある。

ブッシュ大統領は昨年11月の訪日時、日中関係の悪化を懸念していると小泉首相に伝えたのに対し、小泉は「誰が止めても、私は靖国参拝します」という趣旨の発言をしている。

▼暴露されたミサイル防衛システムの欠陥

金正日のミサイル芝居が期せずして暴露したアメリカの秘密は、ほかにもある。それは「アメリカのミサイル防衛システムは使いものにならない」ということである。

北朝鮮がミサイル発射実験を実施する懸念が高まった6月20日、アメリカ国防総省の高官が匿名で「ミサイル防衛システムを、テストモードから実戦モードに初めて切り替えた」という情報を米マスコミに流した。

ミサイル防衛システムは、アメリカに向けて飛んできたミサイルに対し、アメリカ西海岸やアラスカから迎撃ミサイルを当てて空中で破壊する防衛システムで、1980年代から巨額の防衛費をかけて開発され、2004年から配備されていた。

鳴り物入りで開発されてきたミサイル防衛システムがいよいよ実戦で使われるという報道が出たわけだが、これに対する国防総省の正式発表は「ミサイル防衛システムはまだ開発段階で、その能力には限界がある」というものだった。

国防総省は、ミサイル防衛システムは北朝鮮のミサイルを迎撃できないだろう、と認めたに等しかった。

この一件を受けて、米マスコミでは「ミサイル防衛システムは、全く使いものにならない状態にある」という解説記事が出てきた。国防総省は、2002年から10回にわたり、ミサイル防衛システムの迎撃実験を繰り返してきたが、このうち迎撃に成功したのは5回だけだった。

しかも、この実験の条件は、あらかじめミサイルの発射時刻、軌道、大きさ、速度などを、システムに把握させた上で、雲のない好天時に、実際のミサイルより遅い速度で飛ばしたダミーのミサイルを迎撃させたものだった。

現実には、ミサイルの飛来が把握されるのは迎撃すべきタイミングの数分前で、ミサイルの大きさや軌道、速度などの条件の多くが分からない状態で、迎撃ミサイルを発射させねばならない。

敵方のミサイルの飛行状況を事前にすべて把握した状態での好天時の命中率が50%ということは、飛行状況がほとんど分かっていない悪天時の現実的な命中率は、非常に低いことになる。

また、これまでの実験で、迎撃ミサイルの発射装置に重大な欠陥があることが分かっている。基地は海岸の近くにあり、常に潮風を受けているのだが、塩の被害によって迎撃ミサイル発射装置が正常に作動せず、発射ボタンを押しても発射しないケースが、04年と05年の実験時に相次いだ。

このため国防総省は、発射装置をメーカーに差し戻し、再設計させる予定になっている。迎撃ミサイルは、命中しない以前に、発射できないのである。

これらの状況は、米議会の会計検査院(GAO)が今年3月に発表した報告書で明らかにされていたが、米マスコミで大々的に報じられることはなかった。

6月に北朝鮮のミサイル発射問題で、国防総省が「ミサイル防衛システムはまだ使えない」と発表したため、GAOの報告書が注目を集めることになった。

こんなお粗末な展開になっているのは、本来はあと20回ほどの実験を行ってから配備するはずだったのに、メーカーの軍事産業が、911後に軍事予算の急増が続いている間に前倒しで配備するよう米政府に圧力をかけ、ブッシュ政権は、実験不足のまま2002年に配備を決めてしまったからだった。

(北朝鮮のミサイル発射問題の緊張が高まったことを利用して、日米は、アメリカの「パトリオット」型迎撃ミサイルを日本に配備することを決めている。これもミサイル防衛システムの一つであるが、この件については、北朝鮮問題に対する日本の対応のユニークさや、日米の軍事関係の隠された本質について分析する必要があり、話が長くなるので、次の機会に改めて分析する)

▼ブッシュ以上の強硬姿勢を見せたがる米民主党

ブッシュ政権が、北朝鮮は攻撃しない姿勢を採っているのを見て、アメリカの野党民主党は、この姿勢を非難することで、今秋の米議会の中間選挙で自党を有利にするための宣伝に使おうとした。

北朝鮮がミサイル発射実験しそうな緊張状態が高まっていた6月22日、クリントン政権で国防長官だったウィリアム・ペリーと、彼の副官だったアシュトン・カーターという民主党の戦略家2人がワシントンポストに「ブッシュ政権は、北朝鮮を先制攻撃することを検討すべきだ」という主張を載せた。

イラク占領の泥沼化で、米国民の間には反戦気運が広がっているが、米政界ではいまだに反戦より好戦の方が選挙戦に有利だと考えられていて、民主・共和両党とも、2008年の大統領選挙への出馬を考えている政治家は皆、好戦的な発言を繰り返している。

民主党の主流派は、何とかして共和党ブッシュ政権よりもさらに好戦的な言動を行い、ブッシュの弱腰を非難する構図を作りた
いと考えて、ペリーらの先制攻撃の主張が出てきたようだ。

在韓と在日の米軍部隊の多くは、イラクの兵力不足を補うため、イラクに行ったままになっており、今の米軍には北朝鮮を先制攻撃する余裕はない。

米民主党は、それを十分承知の上で先制攻撃の主張をしているのだろうから、彼らの主張は選挙前の宣伝活動以上のものではない。

▼北朝鮮問題と世界の多極化

アメリカが、何とかして中国に北朝鮮問題の解決を主導させるべく画策している理由は、ブッシュ政権の隠れた戦略が「世界の多極化」であると考えると、よく理解できる。

中国が主導し、韓国とロシアが協力するという6カ国協議は、中国とロシアが組んでユーラシア大陸の広域安保体制を作る「上海協力機構」などと並んで、世界を、アメリカの単独覇権体制(欧米協調体制)から、多極化された体制へと転換させる動きになっている。

中国主導の6カ国協議と、ブッシュが拒否する米朝の直接交渉とは「北朝鮮に核兵器を放棄させる」という目標は同じだが、プロセス的に正反対の作用をもたらす。

米朝の直接交渉は「アジア諸国にとって世界の中心はアメリカで、
重要な外交事項は、すべてアメリカとの2国間の話し合いで決まる」という、冷戦時代からのアジアでのアメリカの単独覇権体制を維持強化するものだ。

反対に、6カ国協議の行きつく先は、極東の諸国が自分たちで問題を解決し、アメリカは形だけ参加しているという、アジアの自律的な安保体制である。

6カ国協議を通じて北朝鮮と周辺国の敵対や緊張が解決された後、6カ国協議は極東の多国間の安全保障機構として残るだろう。

極東より西の地域では、中国・ロシア・モンゴル、中央アジア・インド・イランを包括する「上海協力機構」が立ち上がっている。東南アジアには「ASEAN+3」ができている。

いずれも、アメリカの覇権からは独立した集団安全保障の枠組みとして機能しつつある。

これに、極東の6カ国協議が加わり、台湾海峡の問題も台独運動の縮小によって安定すれば、アメリカにとって手のかからないアジア、アメリカの覇権から自立したアジアが出現する。

ブッシュ政権がアジアの自立や世界の多極化を望んでいるという考え方は「アメリカが自ら覇権を手放すはずがない」という人々の直観や常識に反しているが、イラク侵攻以来、世界が多極化の方向に動き続け、アメリカがそれを止めず、無関心ないし逆効果の対応を続けていることは、ほぼ確かな事実である。

ブッシュ政権は、反米的な傾向が強い中東諸国やロシアに対しては、相手方の反米傾向を煽り、反米諸国を結束させることで、多極化を推進している。イランに対して「軍事侵攻も辞さず」という態度を採り続けているのが、その例である。

また、イラクでの米軍の残虐行為が暴露されるたびに、反米感情が世界的に強まり、結果的に多極化が推進される。半面、反米のレッテルを貼られたくない中国に対しては、ブッシュ政権は「北朝鮮は攻撃しない」と言い続け、朝鮮半島への中国の覇権拡大を誘導している。

ブッシュ政権中枢で、世界の多極化を推進する中心的な人物は、おそらくチェイニー副大統領である。ライス国務長官、ハドレイ大統領補佐官も、チェイニーと同歩調の発言を繰り返しており、強硬な単独覇権主義者のふりをした多極主義者であると感じられる。

彼らは、単独覇権主義を過度にやることで、世界を多極化している。一方、ブッシュ大統領は、おそらくチェイニーらの謀略に気づいていない。ブッシュは、側近が吹き込む歪曲された話を信じ続け、現実世界の込み入った事情について何も知らないまま、任期を終えるのだろう。

911後の国際情勢の一つのポイントは、政権中枢の人々だけに知らされる「極秘情報」の中に、チェイニーの側近らが歪曲捏造したウソ情報がたくさん混じっていることである。

この「極秘情報」を知らされた日本や西欧などの同盟国の高官たちも、米高官が伝えてきた話だから間違いないと思って、ウソを
疑わずに信じてしまう。同盟国の高官たちが「どうもアメリカはおかしい」と気づくころには、チェイニーらの謀略は、すでに逆転できないところまで進展している。

チェイニーらが仕掛けた多極化戦略は、イラクの泥沼化と米軍以外の同盟軍の逃避、イスラエル周辺の事態の泥沼化、米英同盟の崩壊(イギリス世論の反米化)、ロシアや中国の覇権強化、中南米の反米左翼化などが実現しつつあることで「仕込み」の段階が終わった観がある。

今後、金利高によるアメリカ経済の減退、ドルの大幅下落などを経て、アメリカの覇権衰退が現実のものとなり、世界の多極化が現実化していくと予測される。


田中  宇 国際ニュース解説

2006年7月4日


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不利になる日本外交 [Tanaka Int'l News]

不利になる日本外交

 9月19日、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議で共同声明が出され、アメリカと北朝鮮は敵対関係を解消するとともに、中国と韓国が北朝鮮経済をテコ入れすることで北の国家崩壊を防ぐという方向性が定まった。(関連記事)

 この決定を受けて北朝鮮政府が最初に決めたことの一つは、北朝鮮が「国際機関」から受け取っている食糧支援を今年いっぱいで打ち切ることだった。

 この決定を聞いてあわてたのは国連やその傘下の国際機関の方で、WFP(世界食糧計画)などは、北朝鮮に関与する名目を「食糧支援」から「経済発展支援」に変えて、北朝鮮に置いた拠点を維持しようと検討している。(関連記事)

 北朝鮮が「食糧事情は改善しているので、国際支援はもう要らない」と宣言したのに対し、国際機関の方は「いやいや、北朝鮮はまだ飢餓がひどいので支援する必要がある」と言っている。

 「朝鮮民族は誇りが高いので、欧米から施し物を受け取り続けることを嫌がっているのだろう」という説明も読んだが、実のところは、欧米系の支援団体の中には、支援の名目でスパイや国内政情の不安定化を煽っている勢力がおり、北朝鮮側はそれを嫌がり、今後は中韓からのテコ入れが増えそうなので、この機会に出ていってもらおうということだろう。

(北朝鮮は各国際機関に直接撤退を要請してきていないので、出ていってくれというのは、欧米との関係を自らに有利なように再編しようという北朝鮮側の口だけの作戦かもしれないが)

 欧米側は、北朝鮮の内部事情を知る機会を失いたくないので「まだ飢餓がある」と言っているのだと思われる。日本では「国際機関」とか「国際支援」といった言葉が「素晴らしいもの」「良いこと」と同義語になっているが、それは表側だけしか見ていない。

 欧米の国際支援は、植民地支配の手法がバージョンアップしたものという側面がある。貧しい子供の顔が大写しになっているような、国際支援系のポスターのイメージに騙されてはいけない。(これは、子供の顔を写すフォトジャーナリズムという業界が、根本的なところで偽善を抱えていることも意味している)

 数年前から北朝鮮に関しては「今年も飢餓がひどい」という記事が毎年出ていたが、これらも、支援を契機に北朝鮮に入り込みたい欧米側と、支援物資だけもらって入り込みを防ごうとする北朝鮮側の両方の思惑の上に、歪曲がかなり混じっていたのかもしれない。

 大したことのない被害を、凄惨なイメージに変えてしまうことは、アメリカのマスコミの得意とするところだ。

 たとえば先日のハリケーン「カトリーナ」の被害や騒動について、アメリカのマスコミは「ニューオリンズは暴徒が支配している」「避難所で殺人や強姦が頻発している」といった凄惨な報道を流したが、これらはほとんど間違いだったことが分かっている。

 これらの誤報はマスコミの過失ではなく、故意に凄惨なイメージを流し「軍が介入しないと大変だ」という状態にしたい連邦政府の思惑に合致したプロパガンダ戦略だったと思われる。

 今や(アメリカの)マスコミにとって「事実」とは政治的な判断によってどのようにでも曲げられるものになっている。

▼南北朝鮮の統一はドイツ型ではなく中国型

 北朝鮮が欧米からの食糧支援を断ったことに象徴されるように、先日の6カ国協議を機に、北朝鮮との関係を扱う中心勢力は、欧米から中国・韓国に移っている。

 韓国は、北朝鮮との緊張関係の緩和に歩調を合わせ、韓国軍の兵力を今後3年間で25%減らす方針を決めた。南北の国境である38度線の警備にロボット兵器を導入するなどして人員を削減する構想も出ている。

 公式には、これらの計画は「兵器のハイテク化、精鋭化」の結果であり、武力の縮小ではないと韓国政府は説明しているが、これはアメリカ国防総省の世界的な軍事再編に対する言い方を真似したものだろう。

 「縮小」だと正直に言うと、敵味方双方から攻撃されるので、強化すると言いながら縮小するやり方である。

 ヘラルドトリビューン紙には「北朝鮮と韓国は、東の社会主義経済を破壊して西の資本主義に統合させた東西ドイツ型の統一ではなく、社会主義の体制を改革開放によって少しずつ資本主義に近づけていった中国型(香港・深セン型)の統一が望ましい」と主張する記事(Modeling Korean unification)も出た。

 ドイツは、東独の経済損失を10年以上にわたって西独が負担させられているが、中国型は損失が出ないので金がかからないと分析している。

 すでに昨年後半から、中国企業が北朝鮮の国有企業を民営化して経営の一部を請け負ったり、韓国政府の肝いりで北朝鮮の開城市に工業団地が作られて韓国企業が進出したりして、かなり経済の開放政策が進んでいる。

 今後の北朝鮮が崩壊するとしたら、その理由は、もはやアメリカなどとの戦争勃発ではなく、経済改革が失敗して内政が混乱し、政権崩壊することが最大の懸念となっている。

▼拉致問題にふたをして日朝国交正常化?

 先日の6カ国協議で、北朝鮮問題の解決を主導する役割がアメリカから中国・韓国へと移転する傾向が強まったことは、日本にとって不利なことだ。

 ここ1-2年間に、韓国はアメリカとの距離を置き中国に接近し、ロシアと中国の間も親密になった結果、6カ国協議は、北朝鮮に比較的寛容な中国、韓国、ロシアという「非米同盟」と、北朝鮮を敵視する度合いが強いアメリカ、日本という2つの陣営に分裂しており、アメリカを批判せず味方しているのは日本だけになっている。

 先日の6カ国協議では、北朝鮮が満足できる和解案を中国が作ってアメリカに承諾させた。アメリカの外交的な裁量はかなり低下している。そのあおりで日本も、共同声明で北朝鮮との国交正常化に努力すると約束する一方で「拉致問題は解決済みだ」とする北朝鮮側の主張を黙認しないと国交正常化交渉を進められないという不利な立場に置かれている。

 2002年に平壌を訪れて日朝国交正常化交渉を進めかけた小泉首相は、自分が首相の間に日朝国交締結にこぎ着けて歴史に名を残したいという野心を今も持っていると推測されるが、その野心を満たすには、拉致問題に何らかのふたをして交渉を進展させねばならない。

 これまで日本政府はマスコミが拉致問題で大々的な報道を続けるように仕掛け、その結果日本の世論は、拉致問題が厳密に解決されない限り北朝鮮を許さないという感じになっており、今さら小泉首相が方向転換したくても、簡単には落としどころが作れないようになっている。

 また、北朝鮮と中国、韓国が外交関係を緊密化させている中で、中国、韓国との関係が悪い日本が、北朝鮮との関係だけ改善させることは難しい。

 まず中国や韓国との関係を戦略的なものに格上げした上で、北朝鮮の経済改革に日本も協力することを通じ、日本と中韓朝の全体の関係を緊密化することがスムーズなやり方である。

 しかし実際には、中国の軍備拡張が続く中、日本は中国を「仮想敵」として指定する方向の国策を進めており、日中関係が改善する見通しは、今のところ低い。(関連記事)

▼日本に断られて反日を続けた中国

 日中関係は昨年、終戦60周年の今年、ドイツとロシアが関係改善をはかったのと並行して日本と中国も関係を改善しようと、中国が日本に接近したが、小泉首相が靖国参拝問題にこだわることを通じ、中国からの誘いを断るシグナルを送り続けたため、独露型の関係改善はできなかった。

 日本側は、中国の誘いに乗ると日米関係最重視の国是にひびが入りかねないと考えたのだろうが、その結果、中国は今年の一年間「戦勝60周年」の宣伝をやり続け、自国民の反日感情を扇動した。

 中国共産党は「抗日」を出発点としており、日本に対する戦勝を宣伝することは、共産党の支配を正統化し、国内世論が反共産党の方向に動くことを抑制する効果がある。

 中国軍内には、潜水艦の出没など、日本に対して好戦的な態度をとる勢力がいるが、その背景には、潜水艦の出没などによって日本の世論が中国嫌いになるほど、中国の世論も反日になり、その反日感情が共産党政権の維持にプラスに働くというメカニズムがありそうだ。

 その一方で、中国の胡錦涛政権は、もし日本が対米従属一辺倒の政策をやめ、アメリカからある程度自立して、中国とも戦略的な関係を結んでくれるなら、それはアメリカのアジア支配を弱めることができるので、その場合は中国国内での反日宣伝を縮小しても良いと考えていたのではないか。

 独露の接近に歩調を合わせ、終戦60周年の節目である今年、日中が「過去の対立を越えて親密になる」と宣言することでそれを実現しようとして、昨年から今年の初めにかけて日本に接近したのだろう。

 しかし、対米従属を至上の国是と考える小泉政権は、それに乗らなかった。中国共産党は、今年の終戦(戦勝)60周年を、日本と和解して日中でアジア共同体を作る節目の年にすることをやめ、従前通りの「悪い日本を退治した英雄的な共産党」という抗日戦勝宣伝が繰り広げられることになった。

▼空洞化する日米軍事同盟

 日本は、中国からの誘いに乗らなかった代わりに、アメリカとの関係を強化し、対米従属度を強める方向に動いた。

 この戦略に沿うなら、強いアメリカに頼れる限り、中韓朝との関係改善などしなくて良いということになる。しかし、アメリカがイラクで軍事的に自滅し、財政赤字の増大によって経済的にも自滅する道を突き進み、外交的にも6カ国協議で大譲歩せざるをえなくなっているのを見ると、対米従属一辺倒の日本の戦略は、失敗色が濃厚になってきていると感じられる。

 日米は、東京の米軍横田基地に、日米空軍の統合司令部を新設する構想をまとめている。この構想からは一見、日米の軍事同盟が強化されているように見える。

 しかし、その一方でアメリカは、戦後ずっと日本に駐留し、在日米軍の司令部として機能してきた第5空軍の拠点を、昨年、横田基地からグアム島に移した。

 これは「アメリカから遠い基地を整理し、近い基地に統合する」という世界的な米軍再編の一環だったが、日米軍事同盟を強化したい日本政府としては「在日米軍」の司令部が日本国内からなくなるのは困る。

 そこで、代わりに日米空軍の統合司令部を横田基地に置くことをアメリカに提案した。それが今回の統合司令部の新設である。(関連記事)

 アメリカは、日本に司令部を置き続けることは米軍再編の原則から外れているので、統合司令部の新設には消極的で、日本の自衛隊が得た日本周辺の軍事情報を米軍にくれるだけでよいと主張した。

 だが日本政府は、それでは日米同盟が強化されているということにならないので、かたちだけでも統合司令部を置いてくれとアメリカに頼み、設置にこぎ着けた。

 日米軍事同盟は、対米従属を続けたい日本側の希望で維持されているもので、内実はかなり空洞化している。

 アメリカは中東では、イランとの敵対関係を急速に強めている。以前の記事にも書いたが、米英などが「イランは核兵器を開発している」と非難しているのは濡れ衣であり、イラン政府は怒り、国連の査察を拒否する姿勢を強めている。

 このままいくと、アメリカは「外交的な解決ができない以上、軍事的に解決するしかない」と主張し、イランに空爆などを加えかねない。

 イラン側は、米軍にやられる前に消耗させておこうと、隣国イラク南部のゲリラに対する支援を強化しているふしがある。

 イランとイラク南部の人々は同じシーア派イスラム教徒であり、巡礼などを通じて以前から密接な関係にある。

 イランが支援を強めた分、イラクのゲリラは米英軍への攻撃を強め、そろそろ撤退モードに入ろうと考えていた米英政府の構想は先送りされ、泥沼状態に逆戻りしている。

 つまり、米英とイランとは、宣戦布告もしないまま、イラク南部において、すでに戦争を開始しており、米英軍はイラン・イラク連合ゲリラ軍との泥沼の戦争に突入している。イランと米英とは、今後さらに敵対関係を強めると予測されるので、この戦争は長引きそうである。

 その分、米軍は疲弊を強め、アジアでの軍事展開をますます縮小せざるを得ない。日米や米韓の軍事同盟関係は、ますます空洞化していくと予測される。

 日米軍事同盟は、日本側が維持を強く希望しているので空洞化しつつも形式上は維持されるだろうが、米韓軍事同盟は、韓国と北朝鮮の関係改善が進めば、どこかの時点で形式的にも解消される可能性が強まる。

 頼みの綱のアメリカに余裕がなくなり、外交的に不利になってきた日本は、今後どうすればいいのだろうか。次回はそれを考えてみる。


2005年9月30日  田中 宇

田中宇の国際ニュース解説から


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中東和平の頓挫とともに沈む国、浮かぶ国:ヨルダンとシリア [Tanaka Int'l News]

中東和平の頓挫とともに沈む国、浮かぶ国:ヨルダンとシリア

 中東のヨルダンとシリアは、隣どうしにあり、両方ともイスラム教徒のアラブ人を中心とした国でありながら、その政策は対照的だ。

 イギリスの植民地だったヨルダンは親米政策をとり、イスラエルと和平関係にある中東では数少ない国の一つだ。一方シリアは、フランスの植民地から独立し、冷戦時代はソ連寄りの立場をとっていた。アメリカからはテロリスト支援国家の烙印を押され、イスラエルとは1967年の中東戦争以来、対立関係にある。

 冷戦が終わり、世界中で市場経済化が進む中、ヨルダンは経済開放策と緊縮財政をとり続け、IMFから「中東の優等生」と呼ばれるようになった。半面、シリアは社会主義体制から抜け出せず、このままではじり貧ではないか、と思われていた。

 だが最近では、両国のそんな状況は逆転しつつある。ヨルダンの未来に暗雲が垂れ込めてきた一方で、シリアはフランスやロシアとの関係を改善し、アラブ諸国とイスラエル、欧米やロシアが関与している中東外交の、中心の一つになりつつある

●まぼろしだったヨルダンの経済成長

 逆転現象の一つは、ヨルダン政府が最近、以前に発表した経済成長率を大幅に下方修正したことだ。ヨルダンの経済成長は1996年が5.2%、昨年は5.0%のはずだった。ところが、実は96年が0.8%、昨年は2.7%であることが分かった、というのである。

 ヨルダン政府によると、以前に発表した数字は概算値であり、その後細かく計算したところ、下方修正することになったという。だが理由はどうあれ、実はヨルダンはIMFの優等生などではなかったということが分かってしまった。

 こうした発表と呼応する形で、ヨルダンでは生活が楽にならない人々の不満の声が大きくなっている。今年2月には南部の町で暴動が起きている。暴動のきっかけは、アメリカがイラクを攻撃しようとしたことへの抗議だったとされている。

そういった反米、反イスラエル的な抗議行動は、他のアラブ諸国同様、政府からある程度は大目に見られる。

 だが実は、暴動には隠された抗議内容があり、それは政府が財政緊縮のため、食料品に対する補助金を廃止するなど、貧しい人々を苦しめている一方、政府高官の汚職があっても取り締まらないことに対する反発だった、ともいわれている。

  ヨルダンでは、内政や王制に対する批判はタブーだ。1992年まで戒厳令が敷かれていた影響が、今も残っているのである。

 ヨルダンの失業率は、政府の発表だと14%だが、内外の経済専門家によると、実際は30%前後と考えられている。しかもIMFの求めに応じて、公務員の削減を決めているので、失業率はさらに増えそうだ。

 ヨルダン経済の不安定さは、経済を周辺諸国との関係に頼らねばならないところからきている。ヨルダンは東から、サウジアラビア、イラク、シリア、イスラエルと接しているが、これらの国々は相互に対立しており、あちら立てればこちら立たず、という難しさがある。

 1991年に湾岸戦争が始まるまでヨルダンは、唯一の港である紅海に面したアカバ港から、産油国であるイラクへと輸送される商品を取り扱ったり、サウジアラビア、クウェートなどペルシャ湾岸諸国の出稼ぎ労働者から本国の家族への送金が、大きな収入となっていた。

 だが、状況は湾岸戦争で一変する。ヨルダンは湾岸戦争でイラク側につき、その後、サウジアラビアやクウェートから仕返しの経済制裁を受けることになる。しかもイラクは国連の経済制裁を受け、アカバ港も開店休業状態となってしまった。

 さらに、今年2月にアメリカとイラクが対立した際は、前回の教訓からアメリカ側についたため、こんどはイラクから嫌われることになった。そのため今後、イラクに対する経済制裁が解除されても、イラクはシリア経由の輸出入を増やすだけで、以前のようにヨルダン経由の物流が再び増えることはない、と予測されている。

●オスロ合意バブルの崩壊で巻き添え

 もう一つ、ヨルダンにとって悲劇だったのは、1993年に結ばれたオスロ合意体制が、昨年から崩れてしまったことだ。オスロ合意は、イスラエルとアラブが和解することによって、平和になった中東に欧米企業が進出して経済発展を実現し、すべての関係国が「平和の配当」を受けとる、というシナリオだった。

 この合意に基づいて、ヨルダンは1994年、イスラエルと和平条約を結んだ。オスロ合意はパレスチナ人による独立国家を作る計画で、ヨルダンは独立したパレスチナやイスラエルとの貿易を盛んにして、経済発展を実現する、という構想であった。

 ヨルダン国民の半分はパレスチナ人で、数次にわたる中東戦争でイスラエルに占領されたパレスチナからヨルダンに逃れてきた人々だ。(今はイスラエル占領地になっているヨルダン川西岸はもともとヨルダン領だった) だからパレスチナ独立国家ができれば、最も深い関係を持つのはヨルダンだつた。

 だが、すべては1995年のラビン首相暗殺によって流れてしまう。その後選出されたネタニヤフ首相は、オスロ合意を無視して、占領地からの撤退を先延ばしにしている。

 イスラエルは1994年時点では、ヨルダンとパレスチナの国境をヨルダン人にオープンにすると約束したが、ネタニヤフ首相はそれを守っていない。ヨルダンとパレスチナとの間の経済交流は、パレスチナ・ヨルダン国境の交通を制限しているイスラエル軍によって阻止されている。

 「平和の配当」はまったくないまま、オスロ合意というシステム自体が崩壊しようとしている。アメリカ人の言葉を信じてイスラエルと和解し、IMFの言うままに経済を自由化した挙げ句が、失業の増加と経済成長の鈍化であった。

●王位継承をめぐる宮廷内紛の懸念も

 さらにヨルダン人の不安を誘っているのが、フセイン国王のガンである。62歳のフセイン国王は7月下旬、入院中のアメリカの病院からヨルダン国民に向けて、テレビを通して自らガンについて発表した。

 薬によって散らせる種類のものだから心配いらない、という内容だったが、それまで安定していた通貨ヨルダンディナールの相場は急落した。

 フセイン国王は1952年以来、46年間もヨルダン国王をつとめている。現役の国王としては、おそらく世界で最も長く王座にいるのではないか。ヨルダンは近代になってから人口が急増した国で、国民の90%はフセイン国王以外の王様の時代を経験していない。

 国王が17歳で即位したとき、ヨルダン国民の3分の2は文盲だった。今では文盲率は15%と、中東で2番目に低い水準にまで下がった。ほこりっぽい小さな町だった首都アンマンは、ビルの立ち並ぶ人口100万人の近代都市になった。ヨルダンは、フセイン国王の政治力によって成長した国であった。

 国王の後継者は、弟のハッサン皇太子なのだが、皇太子は国王ほどのカリスマ性を持っておらず、それが国民の懸念になっている。イスラエルやイラクなど、アクの強い周辺諸国との関係をこなしながら、アラブ世界の特徴である内外からの政治的陰謀を乗り越えて小国ヨルダンがここまでこれたのは、フセイン国王の手腕があったからだとされている。

 しかも国王には3人の息子がいて、宮廷の人々の中には、弟ではなく息子の中から選んでほしい、特にお父様と気質が似ている末っ子のハムゼ王子(18歳)を跡継ぎにしたい、と考えている勢力がある。

 フセイン国王が病状を悪化させる前に、早々と王位をハッサン皇太子に譲れば、もめずにすむだろうが、そうしなかった場合、宮廷内で醜い跡継ぎ紛争が起きる可能性がある。

●22年ぶりにフランスに招待されたシリア大統領

 中東和平交渉の挫折とともに国の存亡が危なくなってきたヨルダンとは逆に、シリアの場合、和平の挫折が追い風となっている。

 シリアのアサド大統領は7月中旬にフランスを訪問し、シラク大統領と会談した。フランス訪問は22年ぶりのことで、欧米の外交関係者の注目を集めた。

 シラク大統領は、イスラエルがシリア領だったゴラン高原を1967年の中東戦争以来占領していることについて、イスラエルの即時無条件撤退を求めるシリアの主張を支持すると表明した。

 これは、フランスの外交政策の大きな転換であった。昨年オスロ合意の実行が頓挫して以来、欧米の政府は合意を守らないイスラエルに対する不満をつのらせてきたが、フランスはシリア支持の表明することにより、反イスラエルの立場を以前よりはっきり示した。

 また、フランスはアメリカとは違う外交上のアイデンティティを欲しがった、という面もある。

 アサド大統領が、フランス訪問によって他に何を得たか発表されていないが、おそらくフランスは、社会主義体制を引きずって改革が進まないシリア経済のテコ入れ支援を増やすことを約束したのだろう。

 シリアは昨年以来、イラクとの関係を改善させている。イラクへの経済制裁が解除されれば、イラクの石油はシリア経由でヨーロッパに輸出される可能性が大きいが、その際、シリアと仲良くしておけば、フランスの石油会社がその利権を手にすることができる、というわけだ。(シリアはイラン・イラク戦争の際、イラン側に立ったため、イラクとは敵対関係が続いていた)

 またシリアは、かつて仲が良くなかったサウジアラビアとの関係も改善させている。イスラエルがアメリカの言うことすら聞かなくなっている今、アラブ諸国のリーダーたちから見ると、イスラエルに対して一貫して強硬姿勢を取り続けてきたアサド大統領への信頼感が増していることが、こうした動きの背景にある。

 とはいえシリアは長年、閉鎖的な社会主義体制を続けてきた。アサド大統領は、アラウィ派イスラム教徒という、シリアの人口の12%しかいないマイノリティの出身ながら、軍人として頭角をあらわして権力を握り、1971年以来27年間の長期政権を維持している独裁型の人だ。そのためシリアは公安警察の力が強く、言論の自由もなく、政治犯も数多くいるといわれている。

 シリアがすぐに自由経済の国になるとは思えない。両国の経済は、今後も中東和平など、政治の風向きに大きく左右されつづけるだろう。

98年8月17日  田中 宇 


 


 


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「ゲイシャとサムライの国」だけでは終わらない [Tanaka Int'l News]

「ゲイシャとサムライの国」だけでは終わらない
外国人作家がとらえた「日本人の知らない日本」とは


 19世紀後半以降、欧米の作家は「謎に満ちた東洋の小国」をさまざまな角度から見つめてきた。スポーツから歴史、カルチャーまで、多元的な「異文化からの視点」に触れることで新しいJAPANの姿が見えてくる。

 日本を描いた外国の本は、目の見えない男たちがゾウの体を手で探っているようなものかもしれない。ある男はザラついた脇腹に触れる。別の男はしなやかなしっぽをつかみ、また別の男は鋭い牙に触り……。その結果、それぞれがまったく異なるゾウのイメージをいだくことになる。

 それと同じように、100年以上前から多くの外国人作家が日本のさまざまな面に目を向け、独自の視点からこの国の魅力を語ってきた。スポーツの分野に鋭く切り込んだ『和をもって日本となす』(邦訳・角川文庫)のロバート・ホワイティングもその一人。ほかにも戦争やビジネスから、テクノロジー、天皇制、建築まで、ありとあらゆる切り口の日本論が外国人の手で生み出されてきた。

 それぞれの本が少しずつ、日本という複雑で矛盾だらけのゾウに対する理解を深めてくれる。

 日本をテーマにした小説が提示するイメージのなかには、時代を超えて受け継がれるものもある。日本が外国に門戸を開いた19世紀後半は、「ジャポニスム」が欧米を席巻した時代だった。

 フランス人作家ピーエル・ロティは小説『お菊さん』を発表。それをアメリカ人のジョン・ルーサー・ロングが雑誌向けに脚色した作品は、プッチーニの有名なオペラ『蝶々夫人』の原作になった。

 物語の題材として「ゲイシャの世界」に引かれる作家は現代にもいる。1997年に出版されたアーサー・ゴールデンの『さゆり』(文春文庫)はアメリカだけで400万部のセールスを記録。年内には『さゆり』を原作にしたハリウッド映画も公開される。

経済成長で注目の的に

 『さゆり』は1930年代の京都を舞台に、気丈な新人芸妓さゆりがいじめにあいながらも、売れっ子に成長する姿を描き、一般読者と批評家の心をつかんだ。「きわめて閉鎖的で、異質な世界がこれほど自然な説得力をもつことはまれだ」と、ニューヨーカー誌は絶賛している。

 小説のテーマは時間を超越するが、創作の動機や世間の評価は特定の時代背景と切っても切れない関係にある。第2次大戦終結から20年もすると、欧米では日本に対する新たな関心が高まった。敗戦を乗り越えて奇跡的な経済成長をなし遂げた日本を見て、誰もがその「秘密」を知りたがったのだ。


 1975年に発表されたジェームズ・クラベルの『将軍』(阪急コミュニケーションズ)は、まさに時流に乗った作品だった。戦国末期を舞台に「サムライ魂」を深く掘り下げたこの作品の魅力を、批評家はこぞって称賛した。

 「(クラベルは)未知の世界へ読者を連れだし、刺激と知識と疑問をほぼ同時に提示する」と、ニューヨーク・タイムズ紙の書評は論じている。

 16世紀末の日本に漂着した実在のイギリス人航海士をモデルにした『将軍』は、卓越したプロットと語り口を武器に、1000ページを超える長編ながら全世界で1500万人以上の読者を獲得。1980年に製作されたテレビシリーズは1億2000万人が見た。当時のニューズウィークは、その影響で「ショーグン・ブーム」が巻き起こったと伝えている。「バーでは酒が売り切れ、ブティックでは着物が飛ぶように売れている」

 クラベルは東洋文化を欧米に伝えようと、封建時代の身分制から旧暦、三味線の形まで細かく説明している。だが、重要なのは主人公ブラックソーンの精神的な成長だ。最初のうちは風呂やおじぎといった生活習慣に疑問をいだくが、しだいに日本独特の「名誉と道徳」の精神を理解していく。

 初めて切腹を目の当たりにして、ブラックソーンは自問する。「こいつらは何者だ? これは勇気か、それとも狂気か?」。それでも、数百ページ後に愛する女が自刃(じしん)する姿を見たときには、そこまでしなければならないことに深い嫌悪を覚えながら、「理解し、敬意すらいだいた」。

 1992年には、もっとシニカルな視点で日本を描いた作品が登場した。ベストセラー作家マイクル・クライトンの『ライジング・サン』(ハヤカワ文庫)は、日本のバブル経済絶頂期を背景にした犯罪サスペンスだ。

 日本企業がアメリカの製造業を衰退に追いやり、不動産を買いあさっていた時期を舞台にしたこの本のメッセージは、ずばり「日本人を警戒せよ」。作者にとっては、こちらを強調するほうがストーリーよりずっと重要だったらしい。

 無気味なほど異質な日本人の姿と奇妙な性的趣味、予測しがたい行動、そしてビジネスに対する貪欲な姿勢――『ライジング・サン』のどのぺージを開いても、こうした日本観が支配している。

イシグロが描いた「戦後」

 1993年に公開された映画版『ライジング・サン』は、原作より日本人に品位をもたせ、アメリカ人も謙虚になっている。クライトンが原作で描くアメリカ人は、不器用で率直で、驚いてばかりいる。日本人は伝統にこだわり、集団行動が巧みで、国益のために一致して動き、そして何より計算高い。

 「日本はアメリカのライバルだ。それを忘れてはならない」と、クライトンは後書きに書いている。日本株式会社の「世界征服計画」に対する警鐘だったわけだが、バブル崩壊後の「失われた10年」を経た今では、いささかこっけいだ。出版当時も議論を呼び、ニューヨーク・タイムズ日曜版は「日本たたきの一つで、紋切り型の見方を助長する」と批判した。

 『ライジング・サン』のようなベストセラーねらいの大味な作品の後に読むと、カズオ・イシグロの小説は極上のワインのようだ。日本人の登場人物は控えめで繊細。いつでも言葉にする以上の思いを内に秘めている。長崎に生まれ、イギリスで育ったイシグロは、『浮世の画家』(中公文庫)で将来が見えない敗戦直後の日本を舞台にストーリーをつづっていく。

 ただし、作者にとって設定は二次的な意味しかない。真のねらいは、記憶のメカニズムの探求だ。イシグロは消えゆく世界へのノスタルジーをかきたてながら、過去を美化する登場人物を皮肉な視点で描く。『浮世の画家』の主人公は、戦争プロパガンダに加担した老画家。世間の非難を受けても、過去の行いを否定しきれずにいる。

「全体像」を知るヒントに

 1999年に出版されたルース・L・オゼキのデビュー作『イヤー・オブ・ミート』(アーティストハウス)も、同じくらい繊細な描写で日本をとらえているが、視点はややドライといえそうだ。主人公のジェーンはドキュメンタリーの映像作家で、著者と同じ日米のハーフ。生活も感覚も、完全にアメリカに根ざしている。目下の仕事は米国産牛肉の日本向けPRのために、アメリカの主婦を起用した家庭料理の番組を撮ることだ。

 ドキュメンタリーとは名ばかりのやらせ番組や、アメリカンドリームに対するむやみな憧れを題材に、オゼキは日本のテレビ文化を風刺する。さらにもう一人の主人公として、東京に暮らす日本女性アキコも登場する。愛情に飢え、性的な役割分担を押しつける周囲との戦いに疲れ果てている孤独な主婦だ。

 『イヤー・オブ・ミート』は時代を動かすベストセラーではないかもしれないが、日本女性の内面をよりリアルに描いている(フェミニストの先駆者である清少納言の『枕草子』も引用されている)。ジェーンやアキコの人物像は、お人形のような『将軍』の女性とも、したたかだが受け身な『さゆり』の主人公たちとも違う。

 日本をテーマにした本には、真実を突いているものもあれば、こちらが恥ずかしくなるようなものもある。だが、それぞれの視点でとらえた日本という巨大なゾウの一部は忠実に表現されているはずだ。それを否定するのは、作家の主観的な表現と彼らの存在意義を否定することに等しい。

 今回の特集では、本誌が選んださまざまな「ニッポン本」を紹介する。自分が知っていると思い込んでいる日本とは違う、それまで見えなかった現実に出合えるかもしれない。ゾウの本当の姿が少しずつ見えてくることを期待しながら、新しい本を開く――それも読書の楽しみの一つだ。

Best Sellers

Rising Sun
『ライジング・サン』
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By Michael Crichton
Ballantine Books
マイクル・クライトン著
バランタイン・ブックス社刊
邦訳・ハヤカワ文庫

ライバル意識
 世界の経済を牛耳ろうとする「日本株式会社」に警鐘を鳴らした話題作。
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Memoirs of a Geisha
『さゆり』
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By Arthur Golden
Vintage
アーサー・ゴールデン著
ビンテージ社刊
邦訳・文春文庫

芸妓の人生
 祇園に生きた女性の人生を丹念につづった本格派小説。ハリウッドで映画に。
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An Artist of the Floating World
『浮世の画家』
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By Kazuo Ishiguro
Faber and Faber
カズオ・イシグロ著
フェーバー&フェーバー社刊
邦訳・中公文庫

追憶の世界
 終戦直後を舞台に、戦争に加担したある芸術家の心のせめぎあいを繊細に描く。


デボラ・ホジソン

2005年5月18日号 ニューズウィーク日本版


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ホワイトハウス・スキャンダルの深層 (前編) [Tanaka Int'l News]

ホワイトハウス・スキャンダルの深層 (前編)

 アメリカで、チェイニー副大統領の補佐官だったルイス・リビーが起訴され、辞任した。今回の起訴は、ホワイトハウスの高官が、イラク侵攻をめぐるウソを隠すため、違法な機密漏洩を行ったとされる疑惑事件の一部であり、アメリカのマスコミやウェブログでは「ホワイトハウスをめぐるスキャンダルがいよいよ始まった」という感じの記事が多い。

「チェイニー副大統領も辞任に追い込まれ、後任の副大統領はライス国務長官が昇格して就任するだろう」「ライスは、そのまま共和党の次期大統領候補になるかも」「いやいや、ライスは妊娠中絶の容認に賛成なので、キリスト教原理主義が強い今の共和党では、大統領としてふさわしくない」といった気の早い記事まで出ている。(関連記事)

 大げさな報道ぶりとは裏腹に、今回のリビーに対する起訴内容は、大したことがない。起訴状は、リビーが議会での証言でウソをついたり、捜査妨害をした罪を問うものにすぎず、機密を漏洩した罪をリビーに問うていない。偽証罪すら、リビーが「曖昧な記憶をもとに証言した結果、間違えたのであって、意図的な偽証ではない」と主張し立証できれば、罪にならない。

 事件の捜査に当たっている特別検察官のパトリック・フィツジェラルドは、機密漏洩を行ったのが誰なのか、まだ示していないうえ「チェイニー副大統領は、犯罪には関与していない」と表明している。事件はしりすぼみに終わる可能性もある。

 事件がどこまで波及するかは分からないが、このスキャンダルは構造として「イラク戦争は正しかったのか」という巨大な疑問に答えを出そうとする事件となっている。

▼事件の1層目と2層目

 このスキャンダルについては、先々週の記事「アメリカの機密漏洩事件とシリア」に書いたが、改めて説明する。事件の発端は2003年7月、シンジケート・コラム(複数の媒体に同時配信される論評記事)やニューヨーク・タイムスなど、アメリカのいくつかのマスコミに、バレリー・プレイム・ウィルソンという女性がCIAの秘密要員であることを暴露する記事が出たことだ。

 CIAは、世界各地で秘密裏に核兵器開発がおこなわれていないかを探知する秘密調査網を持っており、それは表向き、一般企業の国際支店網という形を取っていた。プレイムは、その企業に勤め、国際的な秘密調査網を管理する任務を負っていた。プレイムがCIA要員だということが暴露されたため、秘密調査網の存在も世界に暴露されてしまい、CIAは重要な情報収集の手段を無効にされてしまった。

 アメリカではCIAの秘密要員の正体を暴露することは違法とされている。そのため、誰がマスコミにプレイムの正体を暴露したのかが米議会で問題になり、司法省はフィツジェラルドを特別検察官に任命し、昨年春から捜査が始められた。

 以上の説明は、事件の最も表層の部分である。事件には、この下に何層もの深層がある。2番目の層は、プレイムがCIAであることを暴露する最初の記事が出る8日前の2003年7月6日、プレイムの夫である外交官のジョセフ・ウィルソンが、ニューヨークタイムスに載せた投稿に関係している。ウィルソンは「ブッシュ政権は、イラクがニジェールからウランを買って核兵器を開発しようとしていた、という事実でない主張を行い、イラク侵攻を正当化した」とする政権批判の論文を書いた。

 イラク侵攻の1年半前の2001年暮れから、米政府の中枢では、イタリアから持ち込まれたとされる1枚の「契約書」をめぐって論議になっていた。それは、アフリカのニジェール政府が、自国の鉱山のウランを、フセイン政権のイラクに売る約束をした文書だった。ウィルソンは、この契約書に対する調査を行った人である。

 この文書については私は、すでに何度か記事にしている。契約書には、ニジェールの外務大臣の署名が入っていたが、署名は契約書が作られる10年前に退任した以前の大臣のものだった。契約書はニジェール政府の紋章の入った紙に印字されていたが、その紋章も、契約書の作成日にはすでに使われていない古いものだった。

 ニジェールのウラン鉱山のうち一つは、フランスが採掘・販売の管理をしており、ニジェール政府が自由にできるものではなかった(全量が、フランスを通じ、日本などの電力会社に原発の燃料として長期契約で売られており、スポット売買はできない)。もう一つの鉱山は水没しており、採掘不能だった。

▼ホワイトハウスとCIAの戦い

 CIAは、この契約書をニセモノと判断したが、チェイニー副大統領らホワイトハウスの高官たちの何人かは「ニセモノではない」と言って聞かなかった。しかたがないのでCIAは2002年2月、アフリカ担当が長い外交官のウィルソンをニジェールに派遣して詳細に調べ、契約書がニセモノであることをホワイトハウスに納得させようとした。しかし、それも聞き入れられなかった。

「イラクがアフリカからウランを買って核兵器を開発しようとしている」という主張は、開戦直前の2003年1月にブッシュ大統領が発表した年頭教書演説にも盛り込まれ、イラクに侵攻する主な理由とされた。

 開戦後、一段落したところで、ニジェールウランの契約書がニセモノだという話が再び米政界で問題になり、ウィルソンはホワイトハウスを批判する論文をニューヨークタイムスに書いた。

 それに対するホワイトハウスからの「反撃」が、ウィルソンの妻のプレイムはCIA要員だということを暴露する記事を、8日後にマスコミに書かせたことだった。そして、これに対するCIA側からの「再反撃」が、プレイムの正体を暴露したことの違法性を問う今回のスキャンダルである。

 つまり、多重構造をなす今回の機密漏洩事件は、1番目の層が「ホワイトハウスの高官がCIA要員の正体を暴露した罪」で、2番目の層が「ホワイトハウスが、ニジェールウランの契約書がニセモノだと知りながら、それを本物であるかのように装い、それを開戦事由にしてイラクに侵攻した罪」である。

▼ブッシュにイラク撤退を迫るためのスキャンダル

 機密漏洩事件の3番目の層は「開戦前からニセモノと分かっていたニジェールウラン契約書の問題を、なぜ今になってスキャンダルにするのか」ということに関係している。

 ニジェールウラン契約書の件は、イラク侵攻前から米英の新聞に出ていた。米議会の議員らは皆、この件を簡単に知ることができたはずだ。しかし当時は皆、この件に知らんぷりをして、挙国一致でブッシュのイラク侵攻に賛成していた。

 それはおそらく「米軍はイラクで快勝し、簡単に親米政権を作れる」という、当時のウォルフォウィッツ国防副長官らネオコンの主張を信じていたからだろう。当時のアメリカの好戦的な世論の中では、政治家は、快勝できる戦争に反対すると、後で政治生命を失うことになりかねなかった。

 だがその後、予想に反してイラクは泥沼化し、アメリカの財政は逼迫し、戦死者は増え続け、ブッシュ大統領に対する支持率も下がり続けている。戦死を恐れて米軍に志願する人が減って新兵募集も滞っているのに、イラクの状況は好転せず、米軍は、開戦時よりも多い16万1千人をイラクに駐屯させざるを得ない状況だ。

 与党共和党内には、早期撤退を望む声が広がっている。その一方で、ブッシュ大統領は「何が何でもイラク占領を成功させて歴史に名を残す」と決意しているらしく、ゲリラが強い今の状況下で撤退計画を立てることを拒否している。

 そのため、イラクの泥沼化がひどくなってきた今春以降、共和党内では、ブッシュを追い詰め、イラク占領に対する態度を変えさせて早期撤退を実現したいと考える勢力が増えている。おそらくこの勢力は、今回の機密漏洩スキャンダルをなるべく大きな事件にしようと、特別検察官を後押ししている。

▼「サイゴン陥落」の二の舞か?

 ブッシュが「強硬派」「右派」なので、これに対抗し、共和党内でイラクからの早期撤退を求めている勢力は「穏健派」「中道派」と呼ばれている。共和党の穏健派は、アメリカの軍事力や経済力、国際的な威信が、イラク戦争によって自滅的に削がれていることに歯止めをかけ「世界最強のアメリカ」を何とか維持することが目的である。

 だが、イラクからの撤退は上手に行わないと、ベトナム戦争の「サイゴン陥落」のように、アメリカの威信を失墜させ、世界の反米勢力を活気づけ、ドル暴落などを引き起こす事態になりかねない。

 アメリカがイラクから上手に撤退するためには、イラク国内の武装した諸勢力が米軍の撤退に乗じないよう、イラクの周辺諸国に頼んでコントロールしてもらう必要がある。イラクのシーア派はイランの支援を受けているし、スンニ派はサウジアラビアやシリアの言うことなら聞く。アメリカが上手に撤退するには、イランやシリアとの関係改善が必要である。共和党の穏健派は、秘密裏にシリアに代表団を派遣し、この件について話し合ったりした。

 ところがホワイトハウスのブッシュ大統領やライス国務長官は、こうした穏健派の動きを阻止するかのように、シリアやイランに対し「次はお前たちを潰す」と言っているに等しい敵対的な態度をとり続けている。

 今後、ホワイトハウスの中枢にスキャンダルが及び、ブッシュ大統領は窮地に陥り、事件の摘発を推進する共和党穏健派と折り合いをつけるため、イラクから撤退せざるを得なくなるかもしれない。しかし、それまでにシリアやイランとアメリカの関係が改善されている可能性は低い。スキャンダルの結果、来年あたりに米軍がイラクから撤退するとなると、アメリカにとって「サイゴン陥落」以来の屈辱的な展開になりかねない。

 しかも、米軍撤退後のイラクでは、シーア派に対するイランの、スンニ派に対するシリアの影響力が強まることは必至だ。アメリカは、イラクに侵攻したことにより、この地域の人々を前より反米にしてしまい、石油利権も失うことになる。

 以上の3番目の深層からすると、機密漏洩事件は、ブッシュを追い詰めてイラクから撤退させるために、共和党穏健派が糸を引いていると思われるが、穏健派が思っているような上手なイラク撤退は、現状では難しい。

▼ネオコンの罪を暴く意図

 機密漏洩事件の4番目の深層は、このスキャンダルが「ネオコンの罪を暴く」という様相を呈していることである。

 ネオコン(新保守主義派)とは、イスラエルの右派(リクード右派)のアメリカ支部ともいうべき勢力で、イスラエルのためにアメリカの政策を動かす人々である。今回起訴されたルイス・リビーのほか、国防副長官だったポール・ウォルフォウィッツ(現・世界銀行総裁)、国防次官だったダグラス・ファイス(イスラエルのロビー団体AIPACが絡んだスパイ疑惑で辞任)、国務次官だったジョン・ボルトン(現・国連大使)、国防政策委員長だったリチャード・パールらがネオコンであるとされている。

 ネオコンは1970年代の「米ソ雪解け」の時代、軍事費を削られて困っていたアメリカの軍事産業(軍産複合体)の復活に協力することを通じ、米政界の中枢に入り込んだ。ネオコンは、誇張やウソ情報、マスコミ操作を駆使し、小さな脅威を大きく見せることが特技だった。1980年代のレーガン政権では、ソ連の脅威を誇張し、レーガンにソ連を「悪の帝国」と呼ばせて「雪解け」を終わらせ、巨額のミサイル防衛構想を立ち上げた。これ以来、共和党では、ネオコン(イスラエルロビー)と軍産複合体との連合体が最有力の勢力となった。

 1982年の米軍のレバノン侵攻や、1991年の湾岸戦争は「イスラエルの近くに米軍を長期駐屯させ、米軍をイスラエルの衛兵として使う」というネオコンの作戦に基づいたものだったが、イスラエルに良いように使われることを嫌う米政界の旧主流派の反攻によって、途中で切り上げて米軍が撤退するかたちで終わっている。2003年のイラク侵攻は、ネオコンにとって、湾岸戦争で果たせなかった「米軍をイラクに駐屯させる」という目標を12年ぶりに達成するものだった。

 レーガン政権の2期8年間では、1期目の4年間は、ネオコンと軍産複合体の天下だったが、2期目に入ると、1985年前後に「イラン・コントラ事件」と「ジョナサン・ポラード事件」という、ネオコンとイスラエルを不利にする2つのスキャンダルが起こり、ネオコンは力を落とし、旧主流派(中道派)が巻き返した。 (後編につづく)

2005年11月1日  田中 宇
田中宇の国際ニュース解説

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ホワイトハウス・スキャンダルの深層 (後編) [Tanaka Int'l News]

ホワイトハウス・スキャンダルの深層 (後編)

▼「イラン・コントラ事件」と同じ意味?

 中道派は、レーガン政権内で巻き返した後、レーガンとゴルバチョフの会談を成功させ、軍事産業が勢力拡大の道具として使っていた冷戦を終わらせた。同時に、ドイツ統一を促進し、統一ドイツを核としたEUの結成を促し、EUをアメリカに対抗する大きな勢力にした。これにより、世界の覇権構造を多極化し、イスラエルやネオコンがアメリカの政権を牛耳っても、それが世界全体を牛耳ることにはならないという、新しい世界体制を作ろうとした。

 EUは、パレスチナ問題でイスラエルを強く批判しているが、これはネオコンに牛耳られたアメリカがイスラエルを批判できない分を肩代わりする意味がある。

 2001年に就任したブッシュ政権で、再び米政府の中枢に入ったネオコンは、中道派が作った世界の多極化傾向を無効にするため、911を機に「単独覇権主義」を打ち出した。これは「EUの覇権拡大を容認しない」「アメリカはEUや、その他の国際社会の言うことなど聞かない」という方針である。

 同時にネオコンは、ホワイトハウスや国防総省で、イラクに侵攻するための理屈を作る工作活動を行った。その一つが、ニジェールウランの契約書である。このニセの契約書を作ったのは、イタリアの諜報機関の関係者であると指摘されているが、それをホワイトハウスに持ち込み、開戦事由として使ったのはネオコンである。

 今後、機密漏洩事件の捜査の進展によっては「ニセの契約書を使って米軍にイラク侵攻させたのはネオコンである」ということが、アメリカの公式見解になっていく可能性がある。この事件は、レーガン政権時代の「イラン・コントラ事件」と同じ意味を持つかもしれない。

 つまり「単独覇権主義」「中東民主化」など、ネオコン的な理論がブッシュ政権から一掃され、EUとの関係を再び緊密化し、中国やロシアの台頭を黙認して世界の多極化を進めるという中道派の戦略に取って代わられる可能性がある。

▼無茶なタカ派戦略をわざとやる新中道派

 とはいえ、このような明確な方向転換は、今のブッシュ政権の状態からすると、考えにくい。

 米政界には「ブッシュ政権がやっているネオコンの戦略は、アメリカの力を無駄遣いしているので、それをやめさせて、強いアメリカを復活させたい」と考えている「中道派」がいるのは事実である。しかしその一方で、中道派の中には「ネオコンの戦略をどんどん過激にやってアメリカの力を無駄遣いさせ、アメリカの覇権を故意に低下させることによって、世界を多極化したい」と考えている「新中道派」とでも呼ぶべき勢力がおり、こちらの方が、旧来の中道派よりも強い。

 新中道派にとっては、ブッシュ政権を方向転換させる必要などない。タカ派的な強硬策をどんどん無茶にやっていれば、自然とアメリカは衰退し、中道派が目指していた多極化が実現され、弱くなったアメリカは国際協調主義の方針しかとれなくなる。ネオコンの政策を乗っ取って、中道派の政策を実現しようという戦略である。

 私が見るところ、この乗っ取り策を最初にやったのは、パウエル前国務長官である。開戦前の記事「イラク戦争を乗っ取ったパウエル」にも書いたが、国務長官だったパウエルは、イラク侵攻の4カ月前の2002年12月中旬のホワイトハウスの会議以来、穏健派からタカ派に転じている。

 パウエルはその後「EUとの協調など必要ない」「国連のイラク査察はやっても意味がないので、早くやめて侵攻した方がいい」などとネオコン風の発言を繰り返しつつ、2003年2月には国連で、誰が見ても証拠になりそうもない事柄を並べて「これが、イラクが大量破壊兵器を開発している証拠だ」と演説した。これはどうみても、わざとアメリカに対する信頼を損なう行為だった。

▼パウエルの「隠れ多極化戦略」を受け継いだライス

 私は当時は、パウエルは戦争を回避するために、タカ派に転じたふりをしているのだろうと思っていた。だから、イラク侵攻が実際に起きた時、これはパウエルら中道派の敗北で、ネオコンの勝利であると考えた。ところが、その後のブッシュ政権の行動は、予想に反するものだった。口ではタカ派的なことを言いながら、実際にやっていることは中国やロシアなどに対して譲歩する「隠れ多極化戦略」が始まったのである。

 その一方で、米軍はイラクの占領を故意に泥沼化しているのではないかと思われるような事態も始まった。当然の帰結として、イラク占領は泥沼化した。

 2004年初めには、パウエルは「フォーリン・アフェアーズ」に「ブッシュ政権はロシア、インド、中国といった、大国との関係を強化する」「アメリカは、強くて安定し、経済力と外交力を持った大国として中国が台頭することを望んでいる」と主張する論文を書いた。私が「パウエルはタカ派のふりをすることで、中道派的な多極化を実現する作戦を実行していたのだ」と感じたのは、この論文を読んだときだった。

 今年初めにブッシュ政権の1期目が終わり、パウエルが辞任してライスが国務長官になった後は、ライスがパウエルの「隠れ多極主義」の戦略を引き継いだ。

 たとえばライスは先日、中央アジアのタジキスタンを訪問し、ウズベキスタンから米軍基地が追い出されたことを受け、代わりにタジキスタンに米軍基地を置こうとしたが、断られた。ライスは、タジキスタンの大統領に対して「民主化せよ」と強く求めたため、嫌がられたのである。その結果、ウズベキスタンに続いてタジキスタンも、ロシア寄りの姿勢をはっきりと打ち出すようになった。

 ライスは、相手が怒ることを知りつつ「民主化」を会談のテーマとして持ち出し、うまくやれば親米になってくれる国々を、故意に反米の方向に追いやっている。そして、すべてが失敗した後になって譲歩を行い、世界を多極化する方向に動かしている。極端にタカ派的な姿勢をとることで、中道派的な結果を導き出している。

 ライスは最近、イランやシリアを攻撃する言葉をさかんに発している。ライスは、ブッシュにも「ここで方向転換してはなりません」とアドバイスしているらしく、ブッシュもイランやシリアを非難する発言を繰り返している。

 すでに述べたように、イランやシリアを反米の方向に追いやると、イラクから米軍がスムーズに撤退できなくなる。新中道派は、ブッシュを操り、ブッシュの願望とは正反対の、イラク占領の失敗すら画策しているように見える。

▼なぜわざわざ稚拙なニセ契約書を使ったか

 このような新中道派の故意の失策は、ホワイトハウスの機密漏洩スキャンダルにも反映されている。機密漏洩事件の5番目の深層は「なぜイラク侵攻するのに、明らかにニセモノだと分かる契約書を本物だと言い続けるウソをつく必要があったのか」という疑問である。

 ニジェールウランの契約書は、IAEA(国際原子力機関)も鑑定しているが、彼らは数時間の鑑定でニセモノと断定し「これがニセモノだと言うことは、素人がインターネットを使って調べれば分かることだ」と述べている。

 古今東西の戦争の中には、最初から勝つと分かっている側が作った言いがかりや、粉飾された開戦事由によって引き起こされているものが意外に多いのではないかと私は思うのだが、勝者は開戦前の粉飾やウソを隠し通すことで「正義」を貫き、ウソは歴史の闇に葬られ、後世の人間がそれを知ることはない。

 こうした歴史の常態からすると、アメリカのイラク戦争は、まるで異常である。ニジェールウラン契約書を開戦事由に使ってイラクに侵攻しようとするホワイトハウスのやり方に、CIAが反対したのは、契約書がすぐにニセモノと分かるものだったからだろう。もっと巧妙なニセモノ、巧妙なウソに基づいて戦争が行われるのなら、それは歴史の常態なのだから、CIAは反対しなかっただろう。

 ニジェールウランを開戦事由とする件が、米政府の機密文書の段階で止まっていれば、後で誤魔化すことができ、まだ被害は少なかったはずだ。ホワイトハウスの高官たちも、文書はニセモノだと分かっていただろうから、当然そうすべきだった。

 しかし実際には逆に、ニジェールウランの件は、わざわざブッシュ大統領の重要演説(年頭教書)の中にまで盛り込まれた。CIAのテネット長官は止めたが、ブッシュの演説文を書いたハドレイ大統領副補佐官は聞かなかった。ホワイトハウスの高官たちは、すぐにニセモノと分かる証拠に基づいた主張を、ブッシュの重要演説の中に盛り込むことで、後からウソがばれたときに被害が大きくなるように伏線を張ったかのようである。

 ここから読みとれることは、ニジェールウランのニセの契約書は、ネオコンによってホワイトハウスに持ち込まれたが、ネオコンと対立していたはずの中道派も、ニセの契約書と知りながら、それを「アメリカを自滅させて世界を多極化する」という新中道派の戦略として使ったのではないか、という疑惑である。

 しかし、こうした疑惑は、おそらく今後も表面化せず、歴史の闇にしまわれる可能性が高い。イラク戦争は「ネオコンが起こした失敗」として歴史に刻まれ「この失敗の結果、アメリカは衰退し、世界は自然に多極化した」というのが歴史の定説になるのかもしれない。中道派が戦争政策を乗っ取って世界の多極化のために使った、などとという話には、最後までならないだろう。


2005年11月1日  田中 宇
田中宇の国際ニュース解説

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政権転覆と石油利権 (前編) [Tanaka Int'l News]

政権転覆と石油利権 (前編)

 私はインターネットで毎日、300本前後の英語や中国語の国際情勢の記事や見出しをチェックしている。多くは、見出しを確認するだけで本文まで見る必要を感じないが、毎日50本ぐらいについては本文の前の方だけ読み、特に興味を引いた10ー20本については後ろの方まで読む。下手をすると、これだけで半日ぐらいかかるが、これを十分にやらないと、記事を書こうにも良いネタがないということになるので手を抜けない。

 ネタ探しの後の工程として、面白いと思ったテーマについてさらに深く調べ、自分なりに考察して分析し、文章の構成を考えて執筆するということにも、1本あたり20時間ぐらいかかる。途中で矛盾に突き当たったり、謎が解けないと、もっと時間がかかる。書きたいテーマのうち半分ぐらいしか記事にできない。最近、毎週の執筆量を1本から2本に増やそうとしているが、なかなか実現できていない。

 そんな具合だから、いつか書こうと思いながら、どんどん時間がすぎているテーマがいくつもある。今から書く「リビア制裁解除」の話も、その一つである。

▼リビア犯人説はアメリカのでっち上げ?

 今年8月、スコットランド警察の元警察幹部が爆弾証言を行った。彼は以前、1988年にパンナム航空機がスコットランド上空で爆破され、のちにリビアの政府ぐるみの犯行とされた事件の捜査を担当していた。彼は、このパンナム機事件について「リビア政府の犯行と断定する際の証拠となった時限装置の断片は、アメリカの諜報機関CIAが事故後、現場近くに置いたものだ」と証言した。

 パンナム機事件の犯人とされた北アフリカの国リビアは、1990年に米英から犯人と名指しされた。リビアは当初、事件への関与を否定していた。だが、アメリカや国連から経済制裁を発動されて窮したため、リビアは事件から11年後の1999年に、米英当局が「犯人」と名指ししたリビア政府諜報機関の要員2人を第三国のオランダで裁判にかけることに同意し、国連は対リビア制裁を棚上げした。その後、2003年にリビア政府がパンナム機事件への関与を認めたことを受け、アメリカも制裁を解除した。

 裁判が終わり、リビア政府が関与を認め、事件が解決したと皆が思った後になって、捜査を担当していた元警察官が「実はアメリカのでっち上げでした」と暴露したのである。彼は、裁判で有罪とされ終身刑を受けているリビア人諜報部員アブデルビセット・メグラヒの弁護士に対し、自分の証言を署名入りで提出した。弁護士は再審請求をしており、メグラヒは再審で無罪になる可能性が出てきている。

 確かに、パンナム機事件をリビアの犯行と断定するには、無理な点がいくつかあった。明白な証拠は時限装置の電子基板の断片だけで、基板をリビア政府が買ったことがあるのでリビアが犯人だ、という筋立てだったが、スイス製のその基板は、リビアのほかにいくつかの政府による購入経歴があった。

 裁判では、容疑者の一人は証拠不十分で無罪になっている。リビアが犯人だという話は事件直後には出ていなかったが、事件から1年ほどたって、事故現場から数キロ離れた森の中で電子基板の断片が見つかった後、急に「リビア犯人説」が浮上した。

▼真犯人はイランとシリア?

 しかし、リビアでないなら、誰が犯人なのか。実は「リビアは犯人ではない」と証言している人物はもう一人いる。かつてCIAで働いていたが、CIAのやり方に腹を立てて辞め、その後はジャーナリストなどをしているロバート・ベーアという人で、2002年に彼が行った証言によると、真犯人はイランとシリアだという。

 1988年7月、イラン航空の旅客機が米軍によって撃墜され、290人が死ぬ事件があった。米側は「誤射」だと主張したが、イランはそれを信じず、シリアに支援されたパレスチナ人ゲリラ組織PFLP-GCに金を出し、報復として同年12月、パンナム機を爆破して270人が死ぬ事件を引き起こした、というのがベーアの語る筋書きである。

 米政府は、事件捜査を進めるうちにイランとシリアの犯行だと分かったが、当時はちょうどアメリカがイラクを相手に湾岸戦争を挙行しようとしていたときで、イラクに隣接したイランとシリアを敵に回したくないと考え、犯人でもないリビアに濡れ衣を着せたのだという。

 ベーアは、さらに奇怪な説明もおこなっている。PFLPがどうやってパンナム機を爆破したか、についてである。墜落したドイツ発アメリカ行きのパンナム機には、毎週、CIAがヘロイン(麻薬)を詰めたトランクをいくつも載せて運んでいたのだが、PFLPのメンバーがCIAを騙してトランクの一つを時限爆弾入りのものにすり替えることに成功し、爆発を起こしたのだという。

 この話は、1979年のソ連のアフガン侵攻以来、CIAがアフガニスタンの麻薬をアメリカに密輸してカネに換え、それをイスラムゲリラ(のちのアルカイダ)に資金提供していた、という話に始まり、アフガン戦争後、ゲリラがテロ活動に転じた後もCIAは資金提供を続け、その結果911が起きた、という話につながるのだが、話の奥が深すぎて、今回のリビアの話から大きく外れてしまうので、別の機会に解説する。

▼イスラエルの敵でなくなったので濡れ衣も終わりに

 ベーアの証言は、いろいろと興味深い示唆に富んでいるのだが、彼がこのような発言をする背景を見ていくと、別の興味深い点に行き当たる。それは、彼が中東諸国の政権転覆を試みるネオコンの一派であると思われることである。

 ベーアはアラビア語使いで、CIAでは、アラブ人のテロ組織などにスパイを送り込む仕事をしていた。彼は90年代前半にはイラク北部のクルド人がフセイン政権を倒すゲリラ活動を支援したが、米政界の上層部(中道派)がイラクの分割に反対し、1995年のゲリラ決起を前に、クルド人支援を抑制したことに腹を立て、CIAを辞めた。

 当時から、イラクのクルド人を最も支援していたのは、イスラエルとその「アメリカ支部」であるネオコンだった。ベーアはCIA辞職後、サウジアラビアやシリアの政権転覆を主張する言論人となり、ネオコンと歩調を合わせた。

 リビアは、1980年代にはイスラエル敵視の戦略を持ち、パレスチナ人ゲリラを支援したり、アラブ諸国統合の思想を喧伝していた。アメリカで1981年、イスラエル系勢力(今のネオコン)が高官に多数入り込んだレーガン政権が誕生すると、同政権はリビア敵視策を採った。同年中にリビア沖で、米空軍機がリビア空軍機を撃墜する事件が起き、米・リビア関係は一気に悪化した。アメリカがリビア政府をパンナム機墜落事件の犯人と名指ししたことは、この延長線上で起きている。

 しかしその後、リビアの独裁的指導者カダフィは、アメリカに譲歩して方針転換し、1990年代にはアラブ統合ではなく、アフリカ統合の理想を声高に語るようになった。その結果、イスラエルにとってリビアは大した脅威でなくなり、イラクやイラン、シリアの方が主な敵になった。それで、パンナム機爆破の犯人は、リビアではなくてイランやシリアである方が、イスラエルやネオコンにとって都合が良くなったのだろう。

 最近では、イスラエルのシャロン首相がタカ派から中道派に転換し、ガザ撤退を実現したことを受け、シャロンがリビアを訪問する構想や、逆にリビアのカダフィがイスラエルを訪問する構想が取りざたされている。相互訪問は実現していないものの、もはやリビアがイスラエルの敵ではないことは、ほぼ確かである。

▼リビアの転換は「先制攻撃」への恐怖からではない

 リビアは、世界第8位、アフリカ最大の石油埋蔵量を持つとされる産油国で、カダフィ大佐が一人で権力を握っている独裁の国である。カダフィは27歳だった1969年に王制を倒す将校団のクーデターを率いて成功し、それ以来支配し続けている。

 彼は「直接民主制」を掲げ、自分の肩書きも全部なくしてしまった。だが、これは建前の姿勢にすぎない。実際には、カダフィは石油を輸出したカネを国民に配分することで権力を維持してきた。リビアの国家収入の大半は、石油の輸出収入である。

 リビアは豊富な石油資源を抱えているが、パンナム事件によって国連やアメリカから制裁された結果、世界の石油会社はリビアの石油の開発を禁じられた。リビアは、油田の修繕や新油田の開発を欧米企業に頼っていたため、制裁を受けてから何年かたつと、石油が出にくくなって国家収入が減り、国民の不満の高まりを背景に、1993年や98年に国内で反乱が起きた。窮したカダフィは99年、パンナム機事件の容疑者とされた諜報部員2人を引き渡すことに同意した。

 国連の制裁は棚上げされたが、その後もタカ派傾向を強めるアメリカは、リビアに対する制裁を解除しなかった。リビア政府は、アメリカがイラクに侵攻した直後の2003年4月、パンナム機事件への政府の関与を認め、被害者の遺族に補償金を出し、開発中の大量破壊兵器も廃棄すると表明した。それを受け、アメリカはリビアに対する制裁を解除し、欧米や日本の石油会社が、待ちに待ったリビアの油田開発に殺到することになった。

 リビアがパンナム機事件の責任を認めるとともに、大量破壊兵器開発を破棄したことは、ブッシュ政権の単独覇権主義の成功例であると喧伝された。日本でも著名な「中東専門家」の中には「アメリカが先制攻撃や政権転覆の方針を掲げ、実際にイラクのフセイン政権を倒したことが、カダフィを震え上がらせ、従順にさせたのだ」といった解説をする人が目立った。

 しかし、事態を詳細に見ていくと、こうした分析は間違いであると感じられてくる。カダフィが欧米に対して従順になったのは、経済制裁によって欧米などの石油会社がリビアで操業できない状態がずっと続くと、石油収入が減って国内政情が不安定になるからである。注目すべきは、1999年の段階でリビアが罪を認めても強硬姿勢を変えなかったアメリカが、その後「先制攻撃」を言い出し、もっと強硬になった2003年のイラク戦争後に、リビアを許す方針に転じたことの方である。

▼ペルシャ湾岸の代わりとしてのリビア

 おそらく米政界では、イラクに侵攻し、次はイランやサウジアラビアの政権を転覆することに着手しようという段階になって、石油産業などから「それでは最重要の石油供給源であるペルシャ湾岸地域が長く不安定になり、世界的な石油供給に支障が出る」という苦情が出たに違いない。石油価格の高騰を防ぐための次善に策として、ブッシュ政権は「それならペルシャ湾岸からではなく、リビアから石油を買えばいい」という方針を出し、リビアを許してやることにしたのだろう。

 つまり、本当はアメリカの方に、リビアに接近する新たな必要性が生じた結果、アメリカはリビアと仲直りしたのであるが、ブッシュ政権は自己宣伝のために「われわれの戦略の正しさが証明された」と言い、対米従属の日本政府も、国民がアメリカの行為に疑問を持たぬようにしたのだろう。

(もともと世界的に中東研究者は、パレスチナ問題などでアメリカを批判する傾向が強かったが、911以後、日本では外務省が、傘下の研究機関や大学におけるアメリカ批判の論調を止めようとする傾向を強め「ブッシュの作戦が功を奏してカダフィは態度を改めた」といった、外務省にとって便利な分析を発表する人々がマスコミで重宝される傾向が強まった。以前から著名だった人々は、自分の発言に注意するようになった。アメリカの中東研究者も、米政府から似たような圧力を受けている。日米では、隠然とした言論抑圧が続いている)

 リビアの首相や外相は、石油価格が高騰してアメリカがリビアからの石油購入を止められなくなった後の2004年2月、マスコミの取材に対し「われわれが(パンナム機事件の被害者遺族に)補償金を払うことにしたのは(アメリカからの攻撃を受けない)平和な状態をカネで買っただけだ」「われわれは自国の政府職員の行動に責任を持つとは言ったが、パンナム機の爆破に対して責任を持つとは言ってない」と表明している。リビアは石油収入を増やすため、あえて一時的に濡れ衣をかぶる戦略を採ったということである。

 欧米は最近まで、リビアが大量破壊兵器を持つことに懸念を表明し続けてきたが、その裏では正反対の行動をしている。リビアがアメリカから制裁を解かれる直前、イギリスのブレア首相がリビアを訪問したが、このときブレアはカダフィに、イギリスの戦闘機と、リビア軍の将校をイギリス軍の学校で訓練するサービスを売り込んだ。リビアに独自に大量破壊兵器を作るのを許さなかったのは、高い武器を売りつけるためだったらしい。高値の軍事技術とバーターすることで、イギリスはリビアの石油が安く手に入る。

 イギリスの狡猾なところは、フランスを誘って同様の売り込みをさせたことである。こうすれば「国際社会」が皆でやっていることだから、イギリスが非難を受けずにすむ。イギリスのやり方は、1910年代にフランスを誘って中東を分割したころから変わっていない。日本も憲法を改定して武器輸出を解禁すれば、60年ぶりに、この金儲け事業に再参加できるようになる。(後編へ つづく)


2005年12月6日  田中 宇
田中宇の国際ニュース解説

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