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いま明かされるニクソン外交の秘話 [人物・伝記]

いま明かされるニクソン外交の秘話

  NHKワシントン支局に新作ドキュメンタリーの試写を見に行くと、これが初めて日の目を見るニクソン・キッシンジャー外交の秘話を含み、かつ中台海峡問題を扱うタイムリーな内容だった。ニュースとして一定の価値を持つものだから、本欄で伝えることにしようと思う。

  1971年7月、米大統領リチャード・ニクソンは訪中計画を突如として発表し、現代史に画期をもたらした。このいわゆるニクソンショックに至る以前、大統領と、安全保障担当補佐官ヘンリー・キッシンジャーとの間で何が話し合われていたか。作品はここに焦点を当てている。

▼3700時間に及ぶ録音テープがあった

  猜疑心のかたまりだった大統領は、執務室での会話や、電話を介したやり取りの すべてを録音していた。総計3700時間に及ぶテープのうち、プライバシーを理由と し遺族が留保している部分を除いてその2000時間分以上が、既にワシントンの国立 公文書館へ収められ、公開されている。

  これをNHKのスタッフは手分けして聞き、中国に関する部分を絞り込んで、トップ2人の機微にわたる会話を発掘することに成功した。例えば台湾を中国との引き換えに見捨てざるを得ない部分に関し、キッシンジャーはこう言っていた。

「台湾の蒋介石には晩年に悲劇が襲うことになりますが、致し方ありません」

  直話として初めて世に出るあけすけな表現である。ここに2人の本音が表れていたのだとしても、旧友台湾を見限ったと思われることは国内と共和党内世論の手前、何としても避けねばならなかった。他方北京としては、「一つの中国」原則の下、台湾は属領に過ぎないという線を譲るわけにいかない。

  番組は録音テープを証拠に、ニクソンとキッシンジャーがまさしくこの核心部分を巡って長時間に及ぶやり取りを交わしたことを伝えている。キッシンジャーは回顧録で、台湾問題の比重を意図的に小さく見せているけれど、事実は当然ながら違っていたわけだ。

▼キッシンジャー相手の生々しい会話

  中国を説き伏せる時米国が使った切り札は、第1に、国境紛争の相手であるのみならず核攻撃の脅しまでちらつかせ、北京に恐怖感を与えていたソ連(当時)であり、第2が日本である。この点に術数を巡らす2人の会話は、全編を通じて生々しさを最もよく醸し出している部分だ。例えばソ連について(大統領=N、補佐官=K)。

N: 中国との交渉では、先方にソビエトの脅威を強調してみせなければならない。

K: 閣下、まさにそのとおりです。

N: 彼らに恐怖を抱かせるのだ。「ソビエト軍は、欧州側より対中国境の方に多くの部隊を配備している」という機密情報を、われわれはつかんでいるのだと言ってやれ。

  先に世に出た機密文書によって、当時の中国首相、周恩来が、日本の軍拡を懸念していたことは知られていた。「もし米国の究極目標が朝鮮半島から米軍を撤退させることにあるのだとすると、代わりを日本の自衛隊に務めさせることはあり得るか」と、絵空事めいた可能性まで周恩来は危惧していたようだ。

  こういう中国の日本に対する恐れを、ニクソンは徹底的に利用した。71年7月1日、キッシンジャーに向かって言った言葉をテープはとらえている。

▼日本に対する恐怖心を植えつけよ

「日本に対する恐怖心を中国側に植えつけておかねばならん。私が君(K)ならこう言うだろう。『アジアにもヨーロッパにも、日本に対する懸念の声が広がっている。もし米国がアジアから撤退するようなことがあれば、日本は必ずや再軍備に走る。日本はなりふり構わず軍備強化を急ぐだろう。だからこそアメリカ軍が日本に駐留し続けることが、米中双方の利益にかなうのだ』と」

「中国が日本を恐れるのと同じように、米国も日本を恐れていると言ってやれ。ごく直截な表現で、われわれも日本がいかに危険と考えているかを明確にしてやろう」

  無論、これも初めて明かされたマキャベリズムである。

  当時、沖縄返還との見返りに日米繊維摩擦で折れるはずだった日本の佐藤栄作政権がなかなか言うことを聞かず、ホワイトハウスの2人は日本に対し苛立ちを強めていた。それが対中交渉での日本批判につながったとするのが、これまでの通説である。しかしテープからは、中国の対日恐怖につけこもうとする便法の域を果たしてどれほど出るものだったか、疑問の余地が生じる。番組はその点の指摘を怠っていないけれど、いまだに解釈の分かれるところだ。

▼たった1つの言葉を選ぶ「外交の瞬間」

  結局米国は、「一つの中国」という北京の原則を「認める(recognize)」のでなく「事実として知り置く(acknowledge)」こととして両国間の溝を埋め、番組の言葉を引用するなら「本来交わるはずのない平行線を交わったと表現し、最大の難所を乗り切った」。「外交の瞬間」という、番組の題名はここに取られている。『決定の本質』という、キューバ危機を扱った名著がある。タイトルはそれを踏まえてのものでもあろう。

  外交とは時に、たった1つの言葉をどう選ぶかに行き着くものであることを、この時の米中交渉ほどよく教えてくれるものはない。「アクノレッジ」という言葉を先に中国との間で用いたのは、外交言語の達人・英国だった。それをさりげなく米国に示唆し、落としどころへ導いたのは周恩来である。

  日本を取り巻く東アジアの環境は、この瞬間、意図して曖昧なままとされた台湾を巡っていまだに動揺を続けている。以来三十数年。前回本欄で記した通り、日本は米国に押さえつけられる対象から、米国とともにアジアを落ち着かせる重しの役を買って出るまで変化した。北京はこれに対してわれわれが思う以上に焦慮を深めているのか、日本の首相と会う直前、副首相を引き揚げさせまでして見せる。

  ともあれいかにも聞き取りにくい2人の会話に神経を集中させ、貴重な一次情報を発掘したNHKワシントン支局の功績は称賛に値する。

(文中敬称略。『外交の瞬間・71年、ニクソン機密テープが語る米中接近』は50分。
NHK、BS1で5月28日、午後10時10分から放送予定)

(谷口 智彦=編集委員室主任編集委員、ブルッキングズ研究所CNAPSフェロー)


2005.05.27 NIKKEI BP

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