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吉村昭さんの記録文学の傑作..... [コラム]

 

吉村昭さんの記録文学の傑作.....

 吉村昭さんの記録文学の傑作『戦艦武蔵』は有明海の海苔(のり)漁民の困惑から書き出される。中国大陸で戦火が広がった一九三七(昭和十二)年夏、養殖の網に使う棕櫚(しゅろ)の繊維が産地からまったく姿を消した
 
 ▼異変は九州一円はおろか、四国から紀伊半島まで広範囲に及んだ。何者とも知れぬ一団が金に糸目を付けず買いあさり、トラックで運び去った。のちに買い手は三菱重工業長崎造船所とわかる
 
 ▼三方を市街に囲まれた風光明美な長崎港にある造船所で、戦艦武蔵が建造されることになり、軍事機密を守るため、棕櫚で編んだ巨大なすだれで船台ごとすっぽり覆い隠したのだった
 
 ▼武蔵は当時帝国海軍が誇った巨艦大和の同型艦。時代はすでに空母と航空戦に移っていたのに、遅れて四二年夏に就役、わずか二年後、レイテ沖海戦で撃沈された。軍艦史上最多の被弾、損害とされる。吉村さんが棕櫚網のエピソードで伝えたかったのは、国民をひたすら欺いて破滅への道をひた走った軍国日本の愚かしさだったか
 
 ▼武蔵就役と同じ年の四月、十四歳だった吉村さんは東京・日暮里の自宅物干し台でたこ揚げ中に、ドゥーリットル爆撃隊のB25による東京初空襲を目撃した。風防の中のパイロットはオレンジ色のマフラーをしていた。『東京の戦争』(ちくま文庫)に詳しい。少年の目でつづられた庶民の戦時下の生活記録だ
 
 ▼幕末の歴史物や脱獄犯、放浪の俳人まで、資料と綿密な取材で書き上げた。飾り気のない誠実な人柄が敬愛された。また一人戦争世代が逝った。七十九歳だった。


2006.08.03
筆洗  東京新聞


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