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被爆地に継承の使命 [コラム]

被爆地に継承の使命
  
  「この10年、どんなに死にたい思いをしたかわかりません。でも私たちが死んでしまったら、原爆の恐ろしさを誰が世界中に知らせることができるでしょう」。被爆10周年に開かれた第1回原水爆禁止世界大会で、長崎の被爆女性が涙ながらにこう話すと、会場は深い感動に包まれた

▲あの日の地獄のすべてを伝え切るまでは死ねない。命ある限り被爆体験を語り続けよう。原爆を背負って生きる人の悲壮な決意の表明だった

▲病気、貧困、差別に苦しむ被爆者が、長い沈黙を破って体験を語り始めたのはこのころだ。絶望を乗り越え、「生きる」と決意したとき、被爆体験の継承が始まった

▲それから半世紀。被爆の語り部として立ち上がった人々も、既に多くはこの世にいない。「私たちが死んでしまったら、誰が」。懸念が現実のものとなってきた

▲だが、歳月は無駄に流れてはいない。被爆体験を積極的に受け継ごうとする若者も増えている。「被爆地長崎に生まれ、長崎に住む人間として、長崎での出来事を知っておきたい。そして、それを知らない人たちに伝えていきたい」(長崎新聞新書「高校生一万人署名活動」)。頼もしい決意の表明だ。被爆者の播(ま)いた種は確実に根を下ろしている

▲61年目の原爆の日に、私たちも声を上げよう。「被爆者が苦しみのうちに語り伝えた被爆の実相を、被爆地長崎の私たちが語り継がずして、誰が語り継ぐことができるでしょう」と。(信)
 

「水や空」

2006年8月9日付 長崎新聞

 

 


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