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書籍で伝えるサウジの心 [Middle East]

書籍で伝えるサウジの心

 日本と外国の名前をともに冠した有効団体はいろいろある。わが日本サウデイアラビア協会(会長・小長啓一アラビア石油社長)もその一つで、サウデイアラビアとの親善を深めるのを目的に設立された。

 今年で38年になる。他の協会に比較して知名度で劣るかも知れないが、ひそかに自負していることが一つある。サウデイアラビア、あるいはアラブの文化をテーマにした出販物を、少数ながら出し続けていることである 。

実状はあまり知られず

 サウジと言えば、大方の日本人が思い浮かべるのは砂漠、石油、聖地メッカ、それに最近ではサッカーのワールドカップの話題が加わるといった程度で、実状が細かく知られているとは言えないであろう。
 
 また、現在でも一般の観光客を対象とした入国ビザを発行していないため人的交流が遅れている。協会としては、出販活動によって多少なりとも文化交流を促進使しようとしてきた。
 
 私自身がアラブと出合ったたのは35年程前、大学に入って開講したばかりのアラビア語講座を第二外国語として選択したことだった。当時、日本人のアラビア語教師は少なく、アラブ諸国からの留学生や大使館員が講師を務めていた。

 彼らとの親交を通して私はイスラム教のものの考え方などを知ることになり、やがて深い共感を覚えて代々木上原にあった東京モスクで入信した。大学3年を終えた65年にはエジプトのアズハル大学に留学。滞在は10年に及び、帰国後はアラビア石油に入社し、93年から協会の事務局長を務めている。
 
 さて、協会がこれまでに発行した書物は「アラビア研究論-民族と文化」「予言者の妻たち」「実用アラビア語会話集」「サヒーフ・ムスリム」など、書き下ろしの本や翻訳書を合わせて13点ある。

イスラム研究の出発点

 「アラビア語研究論」は76年に出販した協会としては初めての本で、慶応大学名誉教授の前島信次先生らを編集委員に、11人の研究者が民族、宗教などについて論文を寄せている。今日でも日本におけるイスラム研究の 出発点となる書物とされている。

 アラブ世界、そしてイスラム教を理解する上で大きな貢献をできたと思うのは、予言者ムハマンドの言行録をムスリムという人がまとめた「サフィーフ・ムスリム」の翻訳刊行だ。予言者の言行を記したと称する伝承は約30万を数える。中には信用できない伝承もあるが、同書には約3千の信頼された伝承を収める。
 
 伝承は信仰から礼拝、結婚、商取引、戦争、神学などあらゆることに言及しており、コーランに次ぐイスラム法の法源として今日も生きている。日本ではそれまでに訳書がなかっただけに関係者からは大いにありがたがられた。

 ところで、来年はサウジにとって、イスラム暦で数えて建国への第一歩を踏み出した年から百年目の記念すべき年に当たる。
 
 サウジは、建国の父アブドルアジーズが亡命先のクウエートからわずかの部下をつれてリヤドへ戻り、リヤド城を奪回した1902年1月15日をもって建国へのスタートの日としている。
 
 イスラム暦は1年が355日だから、それで計算すると来年の2月で100年と言うことになる。サウジ政府は、これを祝って国をあげての行事を予定しているが、日サ協会でも王の伝記を出販して敬意を表したいと、準備を進めている。
 
 アブドルアジーズ王は、西暦1880年の生まれで、53年に亡くなるまで初代の国王として国の体制固めに尽くした。「意志あるところに道は開ける」と言うのが信条で、不屈の意志と勇気とで国家の統一を成し遂げた。

 武勇と知略を備えた指導振りは「砂漠の獅子」と恐れられたという。協会では、内外の関連書類やリヤドのイマーム大学から送られた資料などを基に、画期的な伝記にしようと張り切っている。
 
 サウジへの興味をそそられそうな話題をもう一つ紹介しよう。サウジにはアラブのノーベル賞言われているキング・ファイサル国際賞がある。第3代のファイサル国王が死去した後、子息たちが王の遺産で設立した慈善団体、ファイサル財団が77年に設けたものだ。

アラブのノーベル賞

 科学、医学、イスラムへの奉仕、イスラム研究、アラブ文学の五つの部門で国際社会に貢献した人に毎年授与している。

 これまでに32カ国、118人の人が受賞しているが、96年には岩手医科大学の藤原哲朗教授が日本人として初めて医学部門で選ばれた。

 藤原先生の受賞理由は未熟児特有の病気の治療に効果のある薬を発明し、死亡率を引き下げるのに大きく寄与したことだった。

 キング・ファイサル賞の今年のテーマは科学部門が「化学」、医学部門は「アレルギー疾病」。同賞の事務局では日本からの応募を期待している。

  -- 日本サウデイアラビア協会事務局長 徳増公明 -- 
 

     1998年(平成10年)3月27日(金曜日) 
      日本経済新聞 朝刊から

 


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